第二章 核兵器の不拡散 [軍縮・不拡散問題入門]
軍縮問題入門
作者: 黒沢 満
出版社/メーカー: 東信堂
発売日: 2005/10
メディア: 単行本
ということで第二章です。
第一節 核兵器不拡散の意義
国際的な核不拡散体制の中心はNPTである。さらに非核兵器地帯条約もNPTを補完するものとして重要である。
IAEAは原子力の平和利用が核兵器の製造に転用されないようにするため、IAEAの保障措置が適用される。そのためには国家はIAEAと保障措置協定を結ぶ必要がある。現在IAEAの保障措置は追加議定書などで強化される傾向にある。
核関連品目や技術移転が核兵器の拡散につながることを懸念して、その輸出管理レジームとして70sから原子力供給国グループNSGがガイドラインを作っている。
また旧ソ連圏における核の管理のために92年から協力的脅威削減CTRプログラムの実施がされている。
NPTは当初は日本・ドイツなどの先進国を核拡散の懸念国として考えていたが。冷戦後はフランスや中国などの核保有国の参加が確保できたものの、新たな懸念国としてインド・イスラエル・パキスタンが登場し、NPTへの重大な挑戦となっている。
湾岸戦争でIAEAはイラクに問題はないとしていたが、安保理決議のもと行われた査察はイラクの核開発疑惑を肯定した。イラク戦争後、米国による査察が行われたが、イラクの核開発は確認できなかった。
北朝鮮はNPTに加盟していたものの、92年に保障措置協定に加盟。1993年にIAEAは特別査察を要請すると北朝鮮はNPT脱退を通告。このときには米朝高官協議の進展により脱退の効果を停止している。94年には米朝枠組み合意が成立している。
2002年米国が北朝鮮への核開発疑惑を主張すると両国の関係は悪化、北朝鮮は再処理の開始、NPTを脱退した。その後は日韓中露米との間で六カ国協議を開催している。
リビアは英米との秘密交渉の末、核兵器開発の廃棄、IAEA追加議定書に署名することに合意した。
イランは2003年10月に英独仏による民生用核技術の提供の引き換えに、ウラン濃縮の停止と追加議定書への加盟を約束している。しかし、その後ウラン濃縮再開が明らかになるが、イランは平和利用の権利を主張している。
第二節 核不拡散条約NPT
NPTの基本的大前提は核兵器国(米露英仏中)と非核兵器国の区分である。
第一に、核兵器国は核兵器その他の核爆発装置をいかなる者にも委譲しないことが、非核兵器国はこれを受領しないことがそれぞれ義務として課される。
第二に、非核兵器国は核兵器その他の核爆発装置を製造しないことを約束している。非核兵器国は原子力平和利用を核兵器に転用しないように、IAEAの保障措置を受ける必要がある。
保障措置協定は湾岸戦争を契機に申告のない原子力活動も申告で器量に追加議定書が作成されている。
第三に、4条として原子力の平和利用およびそのための施設・技術などの提供などの促進が規定されているが、現在新たな不拡散政策の導入からこれを制限する方向で動いている。
第四に、核兵器国への要請として、核軍縮義務そのものではなく核軍縮のための誠実交渉義務を規定している。非核兵器国からは核兵器国に核開発の廃棄の見返りとして、核兵器国は非核兵器国に対して核兵器を使わないという消極的安全保障を求めているが、条約上の義務とはならなかった。
第三節 再検討会議における議論
95年核不拡散条約の再検討・延長会議が開催され条約の無期限延長が決定される。同会議では条約の再検討プロセスの強化と核不拡散と核軍縮の原則の目標も決定されている。
核軍縮については1)軍縮会議におけるCTBT交渉を96年内までに完成すること、2)兵器用核分裂性物質の生産禁止に関する条約(カットオフ条約)の交渉を開始し、早期に締結すること、3)核兵器の廃絶そのものを目標とすることを具体的な措置として追求している。
2000年の再検討会議では将来とるべき措置についての合意が形成され、コンセンサスで最終文書を採択するのに成功した。
第四節 国際原子力機関(IAEA)保障措置
IAEAはアイゼンハワー大統領の提案を受け57年に憲章が発効し、NPTとは本来別の組織である。
しかし、NPT3条はIAEAの保障措置を受ける義務を規定している。NPT3条1項はすべての核物質に適用される旨規定している。その本質は検証にある、検証は技術的に行われる。
この検証が正しく行われることを前提としてIAEA・NPT体制は信頼醸成措置として機能を果たすことになる。しかしIAEAの保障措置協定に基づく査察は締約国が申告した施設の働くのみである。イラクや北朝鮮のように協定違反の国が現れると、IAEAは新たな検証措置活動をとる必要が生まれた。
追加議定書はまさにその意味で作成されたものである。追加議定書は申告しなければならないものを拡大し、また査察員の接近箇所は補完的なアクセスとして拡大された。補完的なアクセスは短期の事前通告により無作為に実施される。
第五節 協力的脅威削減CTR
ソ連の崩壊により冷戦は終了したが、残された核戦力の存在が問題となった。核戦力の削減はさまざまな作業が必要である。しかし、崩壊した後のソ連の混乱はSTARTI条約などに基づく核軍縮を独力で進めるための基盤を喪失させ、また核戦力の軍備管理能力が損なわれたことによってその不拡散の懸念が強まった。
そこで米国は93年に協力的脅威削減CTR法を作成し旧ソ連諸国へ核戦力削減プロセスを誠実に実施するための支援を開始した。同時期欧州や日本も同じ行動をとっている。
CTRの目的は多様である。
当初米国が懸念したのはソ連の混乱に際して誤って核が爆発してしまうことであり、軍縮プロセスの危機管理と安定化が中心的な目標に添えられた。また米国にとっても拡散の脅威の削減は国益に資するのであり、米露間の信頼醸成にもつながる。
90年代後半からは核物質その他のWMDの拡散リスクへの認識も高まった。特に抑止が通じない非国家主体への核の拡散は重大な脅威として認識されるようになった。
2001年の9・11テロはCTRのグローバル化を促す契機となった。2002年のカナダのカナナスキスのG8サミットではテロとWMDの結びつきを懸念し、G8グローバル・パートナーシップが合意された。その後プログラムはG8以外にも拡大され参加国も増加した。同時にロシアに限定されていた支援もウクライナなどその他の国家にも支援対象国が増加している。
第六節 核不拡散体制の展望
第一に、印パ、イスラエルなどの加盟を促すなどNPTの普遍性を高める必要がある。これを長期的な展望としつつも、短期的な目標としてカットオフ条約の作成とそれへの加盟や、CTBTの批准を促すべきである。
第二に、履行確保ためにもIAEA保障措置の追加議定書の締結を推し進め原子力協力の条件とするべきであるし、違反した国家への積極的な対応および脱退問題に対する対応が必要である。
第三に、核物質がテロリストの手に渡るのを防止する措置が必要であり、核兵器などの物理的防護を強化するとともに、輸出管理を整備し、核の闇市場の撲滅などの措置を緊急にとるべきである。
2005年のNPT再検討会議ではこうしたさまざまな議論が行われ、部分的な合意が見られたものの、全体としては最終的な合意を文書を作成することができなかった。
その最大の原因は米国が国際社会の変化、、また軍縮については問題がないことから不拡散のみを議論すべきであると主張したのに対し、中東の非同盟諸国などがイスラエルなどの核軍縮を問題にしてお互いが歩み寄る姿勢を見せなかったことによる。これは核不拡散体制構築のための絶好の機会を失ったことを意味し、今後とも不拡散・軍縮・原子力平和利用の三本柱がバランスよく議論される必要がある。
2次面接(追加更新) [就職活動日記]
再び企業面接へ行ってきました。
相変わらずやる気が出ずに、今回は少しの対策すらなし。
0400時 ネット麻雀は良くない、ということに気がついて寝る。0900時に起きれるように目覚ましをセット。
1230時 予定通り目覚ましをスルーして寝過ごす。
1330時 さすがにまずいのできちんと起きる。
1410時 シャワー
1425時 ご飯を食っていなかったので納豆をかけてかきこむ。
1435時 家を出る
1450時くらい 日暮里駅 「外交フォーラム」とか全く関係の無いものを読む
1515時くらい 新宿駅到着。さすがに連続で電車が止まる、という珍事は避ける
1525時 ヤングジャンプ、チャンピオンを呼んでいなかったのに気がつき素早く読む。
1535時 このままではいけない、という当たり前のことに気がついて会社へ
1545時 到着
→面接へ。人事の人の発音のイントネーションが関西の人っぽい
長所はと聞かれたので、サークルで真面目にやっていたので努力ができる方じゃないかとかそんな感じの趣旨でハッタリをかます。サークルで練習していた弁論の内容を今でも理解しているくらい真面目にやった、とか言おうとして、
誤って「今でもサークルの大会でやった内容なら完璧に暗記しており、忠実に再現して弁論できます」とかあやしいことを言ってしまい、ちょっと怪しまれ、かつ、引かれる。あやうくやらされそうになる。
(いや、実際にできてしまうので悲しいところですが)
逆の質問として、欠点はとか聞かれて長所の倍くらいの時間をかけて喋ってしまう。こちらのが沢山説明できる自分に悲しくなる。
欠点を述べすぎたせいか、当然のように
「どうやって直すんですか?」
と聞かれて言葉に詰まる。あわてて「現在鋭意努力している」とか「本とか読んで直す方法を模索している」とか趣旨の全く答えになっていないことを答える。
うーん。実際どうやって直そうか?
大学院になんで入ったんですか、と聞かれてつい正直に、
「3年生まで単位をとって無かったので将来を考えていなかったから」と、やはりダメっぷりをアピール。
学生時代のだめっぷりが気になったのか「どんな馬鹿なことをしたのか?」と聞かれて、誤って、母校K大で左翼の巣窟であると思われているK寮(実際はそんなこと無いですよ!ダメ人間は多いですが)にいたことを告白してしまう。
・・・ある意味僕のダメ人間っぷりがよく伝わったと思う。「結果は2週間以内にお知らせします」と言われて、おめおめ帰る。
残念!
以下新規更新部分。
第一章 核兵器の削減 [軍縮・不拡散問題入門]
- 作者: 黒沢 満
- 出版社/メーカー: 東信堂
- 発売日: 2005/10
- メディア: 単行本
第一章 核兵器の削減
第一節 核兵器削減の意義。
核兵器は冷戦中の開発競争が激化し、今日では全人類を何度も殺戮できるオーバーキルの状況が継続している。現在米ソ交渉等の進展が進み、核兵器は減少しているけれども、未だ核兵器は多い。
第二節 戦略兵器制限(SALT)条約。
対弾道ミサイル(ABM)条約。戦略兵器のうち最初に問題となったのは防御のための兵器である。第二撃にたいしての防御を脆弱にすることで第一撃の動機を減少させるという相互確証破壊MADが採用された。
1972年対弾道ミサイル条約ABM条約は対弾道ミサイルシステムの展開を一般的に禁止している。74年にABM条約議定書が締結されている。尚、条約の検証については偵察衛星など自国の検証技術手段を自由に使用することが規定されている。
しかし、21世紀に入って成立したブッシュ政権はミサイル防衛の必要性を強調し、2001年にABM条約から脱退声明を発表している。
SALTI暫定協定。ABM条約と同時に締結され、ICBMと潜水艦発射弾道ミサイルSLBMの現状を凍結するもの。制限数は米国のが少ないが米国に有利な戦略爆撃機が含まれていない、ミサイルに搭載される核弾頭は制限されていないので米国に有利である。
SALTII条約。1979年に署名されたSALTII条約の基本構造は米ソに同数の制限を課している。ICBM基地、SLBM発射基などを数を制限すると同時に、個別誘導複数目標弾頭MIRV化ICBM、MIRV化SLBM等の制限を課している。
しかし上限が高すぎること、質的な規制が含まれていないこと等不十分な内容であった。またソ連のアフガン進行、米国内でも批判が起こり、結局批准されなかった。
第三節 中距離核戦力INF条約
INFとは米ソ間で直接攻撃しうる戦略兵器でなく、ソ連と西欧の間の戦域における核戦略である(射程1000から5500キロ)。交渉の初期は実質的な交渉は行われなかったが、1985年ゴルバチョフ以降交渉が進展するようになる。1986年には一旦交渉は進んだが、米国のSDIを巡る対立のために実現しなかった。1987年の交渉はINFの問題を他の問題と切り離して進めていくことになり、レーガンとゴルバチョフで合意が成立した。
ただし、核弾頭は条約の対象となっておらずミサイル廃棄の前に取り外され保持された。この条約で制限されたことは限られたものであったが、米ソ間でこうした交渉が成立したことは大きな成果であり、その後のSTARTにつながる。
この条約では自国の検証技術手段以外に、現地査察を導入されている。
第四節 戦略兵器削減START条約
米国はSALTII条約は致命的な欠陥を持つと批判し、ソ連に対してSTARTとすべきであると主張した。
内容は戦略運搬手段、核弾頭も削減することになっている。条約の検証については基本的にINF条約を踏襲している
ソ連崩壊後、12の共和国に分かれた。そのためにロシア以外の国にも核が拡散することになるが、STARTIの議定書リスボン議定書が成立し、ロシア以外の国では核兵器の撤去がされることになった。
そのごSTARTII条約が署名されたが、米国は条約と一体となる議定書に批准していない。現在のブッシュ政権はSTARTプロセスを放棄し、新たな枠組みとして戦略攻撃力削減SORT条約を作成し、STARTII条約は成立しなかった。
第五節 戦略攻撃力削減SORT条約
ブッシュ(Jr)大統領は冷戦時代のソ連との敵対関係を前提にしたSTARTではなく協調関係に相応しい新たなプロセスの必要性を提唱した。
SORT条約は全五条からなり、
1)実戦配備の戦略核弾頭を削減、
2)STARTIが効力を持ち続けることの確認、
3)履行確保のため二国間履行委員会の設置、
4、5)は条約の批准・発効・有効期限・脱退に関するものであるが、有効期限については2012年とすると同時に条約の義務を完了した翌日に終了することが規定されている。脱退は自国の志向の利益を危うくしているかどうかに関わらず、書面に通告の後3ヶ月で脱退できるとされている。
こうして成立したSORT条約には課題も多い。
第一に上限が高すぎる点がある。
第二にSTARTIII条約の枠組み合意で合意されたことより後退している点である。STARTでは軍備管理・軍縮条約として本格的な内容を持っていたのに対し、SORTは合意された内容よりも合意されたこと自体が重要視されている感がある。SORT条約が軍備管理・軍縮の目標である戦略的安定を作り出せるとは限らない。
第六節 核兵器削減の展望
第一に必要なことは、戦略攻撃力削減条約の確実な実施である。SORT条約は検証規定も含んでいないし、削減のスピードもSTARTより遅い。両国が友好関係に入っているならば、より実質的な交渉ができるはずである。
第二に緊急の交渉が必要とされるのは非戦略核兵器の規制および削減である。冷戦直後に米ソは海外に配備されたこの種の核兵器の多くを撤去したが、これは両国が自主的に行ったものに過ぎない。
白い巨塔!? [国内問題]
日医は自民党の有力支持団体。唐沢氏は日医執行部と同党との関係悪化を指摘、その関係修復を掲げているが、植松氏は「何をもって悪化しているか示していない」と批判。今後も同党と協調路線を維持する考えを強調した。
医師会、
選挙、
唐沢・・・
だめだ「白い巨塔」しか思い浮かばない…
ついでに昔見たフラッシュURLを置いときます。白い巨塔の法学版といったところかな↓
http://www.geocities.jp/white_todai/
しかし選挙の争点が自民党との関係修復って…
ミロシェビッチ死す [国際法・国際関係]
以下ニュースコピペ
<旧ユーゴ>ミロシェビッチ元大統領、拘置施設で死去
【ブリュッセル福原直樹】オランダ・ハーグの旧ユーゴ国際戦犯法廷は11日、元ユーゴスラビア連邦大統領のミロシェビッチ被告(64)がハーグの拘置施設で死去したと発表した。
元大統領は90年の選挙で旧ユーゴ連邦セルビア共和国の大統領に就任。97年にはユーゴ連邦大統領に就任した。90年代のクロアチア紛争、ボスニア紛争や、99年のNATO(北大西洋条約機構)空爆へと発展したコソボ紛争に関し、「人道に対する罪」「大量虐殺」などで99年5月に同法廷に起訴された。00年9月の大統領選で敗北、01年4月にはセルビア当局によって逮捕され、6月にはハーグの法廷へ移送された。
第二次世界大戦後、欧州では最悪の悲劇となったバルカン半島での「民族浄化」を指揮した責任で、国家元首として初めて戦争犯罪を問われた。審理は継続中だが、心臓と高血圧の疾患を抱え、最近は健康状態を理由にたびたび中断していた。
同法廷の広報官によると11日早朝、看守が独房を開いた際に死亡していた。死因に不審な点はなかったという。
◇最も憎まれ、最も愛された大統領
【パリ福井聡】11日に死去したミロシェビッチ元ユーゴスラビア大統領は、冷戦崩壊後、民族紛争の弾薬庫となったバルカン半島に10年余り君臨した。その間、政治危機に直面するたびに民族感情に火を付けて人心を掌握し、欧米諸国からは「民族浄化を指揮した」と非難を受けたが、国内的には野党各派を分断・弾圧する一方、保守派からは圧倒的支持を得た。「最も憎まれ、最も愛された大統領」だった。
同氏は90年代にバルカンで相次いで起きたクロアチア、ボスニア、コソボの紛争の際、常に「受難のセルビア」を演出する形で国民の心情に訴えかけ、自らの地位を保った。欧米諸国はボスニア和平交渉では同氏を利用したが、99年のセルビアによるコソボ抑圧では北大西洋条約機構(NATO)が対ユーゴ空爆を実施。しかし、空爆後も、同氏は国民の反NATO感情を引きつけて地位にとどまった。
ミロシェビッチ氏の最大の罪は、側近登用と反対者弾圧で人々を恐怖に陥れ野党を分断した政治手法と、旧ユーゴ連邦を孤立化させ経済制裁を招き、国民の暮らしをどん底に突き落とした点だった。コシュトゥニツァ前大統領はこの点を突き、00年の大統領選で勝利。しかし、選挙後はミロシェビッチ氏を訴追せず、同氏は社会党党首のまま政治活動を続けた。
同氏は国内で論議があった末、01年6月末に超法規的に国際戦犯に引き渡された経緯がある。欧米諸国に強く要求された新政権が、援助と引き換えに「前大統領を売った」とも言われる。
戦犯法廷でもなお「セルビア人の大義」を主張し続け、セルビア人にとって認めたくはないが否定できない、愛憎半ばする存在だった。
ニュースを見たとき驚きました。ユーゴ紛争の巨星落つ、という感じでしょうか。特に欧米での彼の評判は最悪ですし、僕自身彼が悪くないと思っているわけではないですが、
今年度前期にユーゴ紛争について勉強し、ちょっと前に「戦争広告代理店」を読んだ現在、彼に対して若干複雑な感情を持っています。その意味では上のニュースの表現は若干不満があります。
ミロシェビッチはある意味冷戦直後の時代の中、時代を利用する、と同時に時代に利用された感があります。ちょっと感慨深いです。
ちなみに僕のパソコンもミロシェビッチとの思い出であふれています。今のパソコンには予測変換機能があるわけですが、
「ミ」と入れると
ミロシェビッチ
ミロシェビッチが
ミロシェビッチは
ミロシェビッチに
とか
民族主義
民族は何故殺しあうのか
民族浄化
民族浄化とは
民族主義的
民族問題
とかなんか不幸な感じの単語しか出てきません。
それもちょっと悲しい。
序 軍縮の現状と課題 [軍縮・不拡散問題入門]
講座の講師は日本を代表する軍縮や不拡散の専門家の方々。大変楽しみです。ということで予備勉強かつ予習をかねて、送られてきた一冊の本、『軍縮問題入門』ですが、これをこれから何回かに分けて紹介したいと思います。
ということで早速序章から
序章「軍縮の現状と課題」黒澤満
第一節 現在の国際社会と軍縮の進展
21世紀に入り米国のブッシュ大統領は国際協調を無視した行動を繰り返している。
9.11テロは米国にテロリストに大量破壊兵器が用いられる危険性を指摘した。その後のイラク戦争では、イラクは大量破壊兵器も保有している、そしてアルカイダとつながりを有している、という理由の元、国連の決議を無視してイラクに対して戦争を仕掛けた。
冷戦以降、集団安全保障、紛争の平和的解決の方向に進んでいたが、21世紀には行って不安定になり、むしろ力による安全保障が求められる傾向は増えている。
テロと大量破壊兵器(WMD)の拡散が問題と感じる米国は軍縮よりも不拡散を重視する傾向を強めた。
NPT核不拡散条約は1995年に無期限延長がなされたが、1997年に「保障措置」のための追加議定書も作成され、秘密裏の核開発について査察が可能となった。現在多くの国が追加議定書に入るための努力がなされている。
旧ソ連圏ではかつて開発したWMDの「管理」が現在不十分である。管理のための援助が必要となる。
核の闇市場発覚以降、「輸出管理」も強化される傾向にある。特に非国家主体へのWMD移転については厳しい措置が採られるようになりつつある。
大量破壊兵器運搬手段である「ミサイル拡散」も重大な懸念の一つである。また、米国は迎撃のための「ミサイル防衛」の強化に乗り出している。
2003年5月には従来手薄であった、WMDを違法に輸送する船舶を海上で捕獲し拡散を防止する、「拡散防止構想PSI」が開始されている。
戦略核兵器の削減は米ソの二国間交渉が重要である。STARTI条約で半減したが、STARTII条約は発効しなかった。そして新たなプロセスとしてSORT条約が署名され発効している。
米国はミサイル防衛を優先課題として位置づけABM条約から脱退した。
NPT体制についてはイラク・リビア・北朝鮮による条約違反が指摘され問題となっている。近年原子力平和利用のもと多くの支援を受けた後に条約を脱退する国をどうするかが問題となっている。
冷戦後、地域紛争、国内紛争が多発し、小型武器・地雷などが大量に使用され戦闘員のみならず、女性や子とどの被害者が増大し、人間の安全保障が訴えられるようになった。
対人地雷についてはオタワ・プロセスという交渉が開始され対人地雷禁止条約が署名・発効した。小型武器については国連小型武器会議が開催され、小型武器の非合法取引の防止、根絶のための行動計画がコンセンサスで採択された。
第二節 軍縮交渉の概観
戦後初めて行われた軍縮会議は核問題で原子力委員会が設置されたが、米ソ対立で進展しなかった。
その後、1947年通常軍備委員会、1952年国連軍縮委員会(DC)、1978年以降の国連軍縮特別総会と国連は軍縮のための議論の場として一定の役割を果たしている。
1952年DCがソ連の不満により停止したことを受け、1960年に東西同数の原則を採用した10カ国軍縮委員会が、その後1962年に非同盟8国を入れた18カ国軍縮委員会が、その後日本などを入れ軍縮委員会会議となり、1978年には31カ国となり、会議が開かれた。この会議からはNPT、海底核兵器禁止条約、生物兵器禁止条約等が作られた。
この委員会は1978年の国連軍縮特別総会を契機として国連との関係が強化され、1984年に軍縮会議(CD)となり現在に至っている。1993年い化学兵器禁止条約が作成され、94年から96年には包括的核実験禁止条約の交渉が行われた。しかし、その後は交渉の議題が合意されず実質的に機能していない。
米ソ二国間交渉は1960年末からの戦略兵器削減交渉SALTが開始された。1980年代には戦略兵器削減交渉STARTと中距離核戦力INFに関する交渉が平行して行われる。この交渉はゴルバチョフ以降ソ連が真剣に交渉に参加するようになり、中距離核戦力条約、1991年にはSTARTI条約が署名された。STARTIIは発効しなかったが、2002年から戦略攻撃力削減条約SORTが締結された。
また地域的な非核地帯条約が設置されるようになった。
第三節 国際平和と軍縮の関連
軍縮は国際の平和と安全のための一つの手段ではあるが全てではない。伝統的な安全保障の観点からは、武力行使の禁止、紛争の平和的決、集団安全保障の3つの要素が軍縮と相互依存関係にある。
3つの要素を効果的に促進することが軍縮のためになるし、逆に3つの要素が強化されることで軍縮の素地ができる。
第四節 今後の軍縮の課題
核軍備競争の禁止。冷戦後、米ソ間の核開発競争は終わり、軍縮の方向で進んでいるが、競争が完全になくなったわけではない。質的観点から包括的核実験禁止条約(CTBT)の徹底、量的観点からは兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約)の締結が望まれる。
CTBTについては、インド・パキスタンの核実験、イスラエルの非署名、また米国も批准を拒否している。カットオフ条約については中国以外の4核兵器国は条約が発効する前にその趣旨を守る旨表明している。しかし、各国の意見の相違が今だ多くあり今後の課題である。
戦略核兵器と非戦略核兵器の削減。米露でSORT条約が署名されたがそのプロセスは従来のものにくらべても遅いし、いまだ戦略核兵器の保有量が多すぎる、フランス・中国などの国家を交渉に参加させるためには更なる削減が必要である。非戦略核兵器についての国際法上の規制は無い。小型化可能なこれらの平気はテロリスト等の格好の標的に成りうる。早急な交渉が望まれる・
核兵器の役割の低下。核保有国における核兵器の安全保障における重要度を下げる必要がある。しかし米国は小型核兵器の開発を推進、先制攻撃のドクトリンを発表している。
非核兵器国に対しては核兵器を使わない、という消極的安全保障の法的保障が必要となる。現在核兵器国は消極的安全保障を与えているが政治的な約束であると解されている。
核兵器の先行不使用の原則も確立される必要があると思われる。ICJは核兵器の使用は人道法の一般原則に違反することを判断している。
非核地帯の設置も有益である。
大量破壊兵器と通常兵器。生物・化学兵器については画期的な条約が既に成立しているので今後更に加盟国数を増やすことが重要となる。同時に条約の義務の実施の確保、検証措置の強化も行われる必要がある。
対人地雷禁止条約は成立したが米露中印など地雷大国(?)が今だ署名していないという欠陥がある。
小型武器については今だ法的文書は存在せず、政治的な行動規範がるのみである、内容の強化とともに今後の課題である。
長くやりすぎた・・・次からはもっと簡単にまとめたい。
『国家と外交』田中均&田原総一郎 [書籍:『』「」付記]
田中均といえば知っている人も多いのではないかと思います。
小泉首相の訪朝を実現した外務省のキーパーソンです。その後いろんなところで叩かれる羽目になってしまい、怪しい人に爆弾を送られることも。最近外務省を退官。来年から大学院で外交を教えてくれるそうです。
だから、というわけではないですが、この本を買いました。田中さんが何を語るのか興味があったからです。
田中均と対談するのはこれまたご存知(?)、田原総一郎。
結論から述べると大変面白い本だったと思います。
まず、田中均という人は外交官なんだなあ、というかこれが外交官なんだなということが分かります。
その発想の出発点は理念とか原則というよりも、現状の認識、日本という国家からくる制約、相手の国制約、そして何が出来るの、ということの分析であるように思いました。元外交官の外交の授業とかこれまで受けてきましたが、現実に政策を行う人にこういうタイプは多いように思いました。
それを判断した上で何をするのが日本の国益になるのか、ということを考えているように感じました。
要は原理原則先に有りきというわけではないでして、その辺がどうもへんな主張する人たちと異なる部分なのではないかと。そして政策責任者なのであろうと思います。
そして外交において重要なものとして、国際環境が刻々と変化する中、物事を実現するための「機会」を逃しては成らない、ということも強調し、それを見逃さないように常に注意する必要がある、ということを主張しています。
北朝鮮との関係で言えば、韓国と北朝鮮の関係が良い、そして米国が北朝鮮を「悪の枢軸」とか言って、相手にしていない。そこで北朝鮮が日本を向く契機が生まれる。そして、日本と北朝鮮の関係を正常化する「機会」が生まれることになります。
そして田中さんが言うのは外務省の上を無視して総理と2人だけで話した、などということは無い、ということです。日本の官僚機構ではそれはできない、といいうことです。よく考えれば新聞に「総理の一日」とかがあるので、上を無視して秘密裏に行動できるわけ無いですよね。
北朝鮮のミスターXと秘密の交渉をしていた、ということも国内で問題とされていましたが、それは現在未だ日本と北朝鮮は交渉が継続しているので明らかにはできない、とのこと。
そして北朝鮮のような独裁国家と交渉するのに重要なのは、誰が金正日に確実にメッセージを持っていけるかである、とのことです。役職が上だからといってそれが確実にできるとは限らないので、所謂クレディビリティチェックを行う必要がある。少しづつ積み重ねていって、ようやく大きな問題を解決できるようになるということです。この辺は情報公開がなされ、役職と権限がかなり一致している民主主義国とは異なるところですね。
こういうことができようになると、(非公式の)交渉が行われることになります。当然問題は「拉致」です。田中さんは率直に書いていますが、拉致を無視して国交正常化等という事はありません。実際田中さんの交渉のエネルギー多くは拉致を認めさせることと謝罪をさせることにありました。
そうなると難しいのは、拉致をどうやって認めさせるか、ということです。外交は相互主義です。如何に相手が国家犯罪を行っていようとも見返りが無ければ、拉致を認めません。強硬派の人は色々言うみたいですが、これは現実で、政策に責任ある立場にいる者なら、一方的な主張だけして終わるわけに行かない。なので拉致に関する交渉がうまくいくと、北朝鮮にも利益があることを説明しながら交渉を進める必要があります。
制裁とか声高に言う人がいますが、それでは北朝鮮との交渉が決裂してしまいます。責任ある政府が軽々に行ってよいものではないと思います。それに現在ではそうでもなくなりましたが90年代とか制裁の後に可能性のある報復措置にたいして日本が何らかの措置が取れるのか、といえばまるで無防備であった、従ってそもそもの問題として日本の法整備を整える必要がありました。
交渉では拉致被害者の情報提供が最大の問題となました。田中さんもプロの外交官ですから安否確認とかもしようとした。しかし北朝鮮にしてみれば簡単にその情報を明かすわけにいかない。そこで交渉は難航します。北朝鮮は猜疑心が強いのでいったん情報を出せばそれ以降の見返りは無いので無いか、ということを疑うわけです。
田中さんは小泉総理にそのように伝えるのですが(伝えていないわけがありません。北朝鮮に言ったらすぐばれるわけですし)、小泉総理は自分が北朝鮮に行って拉致についての情報が分かり、被害者を救えるならば俺は行く、ということでリスクを承知で北朝鮮に行った、というのが実際のシナリオらしいです。
そして報道ではいきなり小泉訪朝になったかのように伝えられていますが、現実には局長級協議、外相会談が行われてから、というように段階を経て行われているもののようです。
あと、小泉訪朝の説明の際に触れていたのが外交には100%の勝利は無い、ということでした。ですので日朝平壌宣言には拉致という文言は入らなかった、代わりに拉致と明確に解釈できる文言が入ることになりました。拉致という文言に拘って席を立つのは簡単ですが、それでは拉致被害者が救えない、この辺のことを考慮して、宣言の文言は考えられた、ということでした。
ということで北朝鮮との交渉の過程の話はさすが当事者、ということで大変リアルで面白いものでした。よりリアルにそのときの過程を知りたい方は本書を読んでみるとよいと思います。世間で言われている田中さんへの批判は多くの場合、当てはまっていないのかな、と思いました。
そのほかに北朝鮮との交渉で重要なのは北朝鮮の言っていることをそのまま鵜呑みして踊らされてはいけないということ、検証を必ず行う必要がある、ということです。北は戦術として何でも言ってくる、そこは見誤って行けない、ということです。
核と拉致の問題について。日本は拉致と核を両方とも解決しなければならないという困難な道を模索しています。そして田中さんは日朝平壌宣言とは拉致と核を同時に解決するための枠組みである、というようなことくを言っていた様に思います。
そうすると拉致は現実に照らして単独で解決することが無理な問題であるということが分かるのではないかと思います。日本として拉致が片付いたら核を無視して国交回復するわけにいかず、来たに援助はできない。従って拉致だけの解決は北にとってメリットが無い、ということになる。そして核の問題は日本というよりアメリカが主要な交渉相手になりますが、アメリカとの交渉が中々難しい。北朝鮮にしてみれば、核を解決しても拉致が解決しないと最も期待できる日本の援助はもらえない。
以上のことからしても拉致と核は同時進行にならざるを得ない、ということになると思います。そしてそのための六カ国協議、ということになると思います。
関心をしたのは、良し悪しは別として、そうした説明が一貫しているところではないかと思います。田中さん批判している人の多くは話が一貫していないです。この本を見まして北朝鮮についての問題が整理されたように思います。
加えて、田中さんが、というか日本の外務官僚が日本人の姓名・財産の安全について大変な責任感を持っている、ということを感じれたことも収穫です。あと、小泉総理への見方も少し変わってきます。
よく「正論」とかそっち系の雑誌ので「日本人を守るのは国家の責任で・・・、制裁を!」とか言ってる人がいます。しかし、なんと言うんでしょうか。これこそ評論家的で、日本人の生命に責任を担っていないからこそ言える台詞で、単に自分の気持ちを満足させるためだけに論を発しているようにしか見えないわけで、言ってることは立派なのですが、どうも中身が空虚のように思います。僕から見たら田中さんのほうが日本人の生命・財産に対する保護する責任をもって行動しているように思います。
制裁が絶対ダメ、というわけではないですが。そのためにいくつかの要件を満たす必要あるでしょう。問題解決が遅い→制裁では、ちょっと困ります。
うーん。北朝鮮だけで話が長くなってしまった。一章分の説明しかしていないのに・・・。近いうちに解説を増補したいです。
兎に角も外交において現場、特に修羅場となっている場所で行われていることを知るのに良い一冊では無いか、と思います。最後に言うのもなんですが、この本は僕のつたない書評(or本の一部紹介)より実際に読んでもらうのが良いと思います。
はっ、
来年田中さんの授業を受ける予定の僕ですが、実は田原総一郎とも出身校が同じ。世間の批判をそのままにすれば、仮に僕が外交官になったら「売国外交官」ということ?・・・・・・そんなわけ無いか。っていうかないよね。良識ある(つもりの)保守派のつもりなんです(保守派とかそういうレッテルはあまり意味の無いものですけど)。
アゼルバイジャン大統領来日 [国際法・国際関係]
アゼルバイジャンという国家をご存知でしょうか?
こんな感じの場所にあります。
今日、というか昨日(8日)に国際問題研究所(JIIA)のフォーラムでアゼルバイジャン大統領の講演を聴く機会を得ました。
インターンをしていたときに講演は何回か聞いたことがありましたが会員として講演を聴いたのは初めてのような気がします。一応会員なのでたまにはサービスを利用しないと。
3月1日にはイランの外相の公演があったらしいのこれは聞き逃しました。というか日本にいませんでしたし。
通常のJIIAのフォーラムは霞ヶ関ビルで行われますが、さすが大統領、ホテルオークラのオーチャードルームが講演の場所です。
また、警戒も大変厳重。金属探知機まであります。僕は金属探知機にあまり良い思い出がありません。案の定くぐったら「ピー」という機械音が。
むさいおっさんにベタベタ触られセクハラ・・・、もといボディチェックを受ける羽目になりました。
会場に入ってそうそう、僕は間違いに気がつきました。講演会を甘くいていたのでしょう、私服でいったら、来ていた人全員スーツでした。
しかも若い人僕だけっぽい。完全に浮きまくりです。ジャケットに白いポロシャツだったのでまだ良かったですが。
ス○ーピーとかのトレーナーとかじゃなくってホント良かったです。アブねー。
さて、講演が始まるまで待っていたら隣にいた見知らぬおっさんに話しかけられました。何故か分かりませんが僕に
「戦前の日本では外国人が来ても日本語を喋らせていたんだよー」
とかわけのわからない話をされます。同時通訳機をいじっていたせいでしょうか。
「片言の英語がはやってねー。ノー ジャパニーズとかノー ニッポニーズとか(笑)」
えー、さっぱり意味が分かりません。しかしおっさんは勝手に受けているようでした。
講演が始まるまで、おっさんの意味の分からん戦前の思い出を聞かされ続けました。
そんなこんなでやっと大統領がやってきました。予定よりちょっと遅れて登場です。
イルハム・アリエフ大統領というのですがまだ40代です。若いですねー。威厳というかオーラみたいなものだけだけなら日本の並みの首相を軽く超えてますけどね。でかいからそう見えるだけなのかなー。
話は最近のアゼルバイジャンについてと日本との関係についてが織り交ぜられていた感じのものです。
なんか適当に喋ってる感がしましたけど。
経済のこと、日本の援助のこと、石油のこと、独立後の改革のこと、地域の取組みのこと、石油のこと、ロシアやイスラムとの関係、そしてアルメニアに奪われたという領土問題について、なんかノリでしゃべってる感がしました。
某討論大会のときの僕みたいですね。
とは言え、そもそもアゼルバイジャンについて門外漢だったものですから、アゼルバイジャンについてなんとなく分かって面白かったです。
アゼルバイジャン大統領を使った、アゼルバイジャン講座といった感じでしょうか。そう思うと何か贅沢な気分。
地理的に大変みたいですねー。元ソ連邦で、ロシアとイランの間ですから。今はなんとか安定しているみたいです。
色々喋ってましたけど、アルメニアとの間のナゴルノ・カラバフ問題(アルメニアに取られた領土の20%相当の地域)になると、結構熱くなってました。何故かいきなり国際法上の正当性の論証をはじめてました。
全然論証しきれてませんでしたけど。まあ熱意は伝わりました。しかしあの程度の論証だったら時間を裂いて行う必要は無いだろうに。とにかく交渉あるのみ、という姿勢でした。
ただ、
「交渉を尽くす、だけど交渉などの平和的解決が全く望めない場合、新たな戦略が必要になる」
なんてことを発言してました。大丈夫なのか?問題発言にならないのかなー。今回の講演、さすがに大統領が行うもの、ということだけあって結構なテレビカメラが並んでました。普通に短絡的に解釈したら
「最悪武力で取り戻す」
という風に解釈できてしまうのですが、大統領の真意は一体?わざとなのか、それとも極東の島国ということで油断したからなのか、それとも深い意味は無かったのか・・・、いやー、謎です。
さて、公演が終わると若干の質問タイム。来ていた会員なら質問が出来る、ということになっていますが、そこは大人の事情、というのがあるわけですよ。公演には前のほうにゲストの偉い方がいらっしゃってですね、優先的に質問が出来るわけですよ。
この方達はJIIAの会員でもないんですが、会員を無視して質問が出来るわけです。はじめから手を挙げている会員がいても最後のほうに思いついたように手を挙げたゲストがいればそちらのほうが司会の人によって質問権が与えられてしまうわけです。
世の中って汚いです。
そういうわけで今回もゲストの人が指名されます。前のほうのおっさんっがマイクを取ったのですが、
「えー、文部科学大臣の小坂です。」
何!?
ちょっと驚きです。こんなところで大臣を見れるとは。ちょっと感動。
ただ、小坂文科相、ただ自分の思っていることを言いたかっただけだったんでしょう、演説だけして、感動を覚えた、とか適当なことだけって話を終えてました。
これには大統領も「thank you」としか言えませんでした。
他にもゲストにはそうそうたる人が居たみたいで、最後に質問した人
「川口です」
とか言っていたので、見ると川口順子元外相だったりしました。
と、そのゲストが沢山居るテーブルを見ると、なんか見覚えのある後姿が。
もしや今年外交政策の授業を教えていたS先生では?
こんなところで会えるとは、と思い、本物だったら挨拶でもしておこうと重い、講演が終わったので早速確認。
が、違ったみたいです。杖を持ってプルプル震えている良く知らないおじいちゃんでした。JIIAの人に支えられてぎりぎり歩いている感じがしました。良く会場まで来れたもんだなー。
あんまりアゼルバイジャンの話はできませんでした、こんな感じです。
アゼルバイジャン大統領は日本にとても感謝してました。独立後すぐ承認したり、ODAとか沢山あげているのがよいみたいです。
あと日本企業にも結構注目してました。
日本としてもロシアとイランの間にありパイプラインの要衝地帯であるアゼルバイジャンは重要です。大統領が来た、というのはアゼルバイジャンとの関係がうまくいっている、ということでので、引き続き関係を維持していきたいですね。
『三本の矢』〈上〉〈下〉 [書籍:『』「」付記]
昔買った本を再び読み返して見ました。日本経済がとても悪いときに書かれた本です。この本を読むきっかけは、大学に入学したとき、学部の入学式のときに城山三郎『官僚たちの夏』(そのうち書評を書きたいです)とともに薦められたことだったと思います。そのときはふーん程度で聞き逃してたのですが、3年生くらいにふと買って初めて読みました。
物語の主人公の紀村隆之は大蔵省(現財務省)銀行局の課長補佐、ということで、主人公が官僚というなかなか異色の作品です。作者もたしか官僚だと聞いたことがあります。
時は1990年代後半、大蔵省では大蔵省本流、東大法学部がその多く占める主計局を中心とする二階組と、経済学部出身者が多く、アメリカで学んだ経済学理論を政策決定過程に組み入れようとする銀行局中心の四階組が激しい主導権争いを行っていた頃です(ちなみに現在銀行局は金融庁として財務省と切り離されています。)
物語の発端は蔵相瑞田が動銀の経営危機を肯定してしまうという失言を行ったことに始まります。これにより金融市場、国民、そして日本中が大混乱に。しかし、これは単なる失言ではなく、大臣の答弁書が第三者により巧妙に刷りかえられたことによる、仕組まれたものであった。
大臣の失言からどんどん物事が進行するなかで、主人公の紀村(派閥争いを避けている中間派的存在)は一人、大蔵省の内部の人間が関わっているであろう、大臣答弁差換え犯を探すという、「特命」を与えられることになります。そして犯人を捜査するうちに、事件の全容、様々なアクターの動きを捉えていくことになります。
以上が話の概要です。犯人を捜す上での紀村のテーマは「動機」と「物証」です。
特に「動機」との関連では、犯人の意図が問題となりますが、答弁差換えによる犯人の意図をつかむ為に、紀村が犯人を捜すという過程の中で、政治学、経済学、社会学などの基礎的な知識、そしてこれら諸学問の交錯する部分における問題についてふんだんに散りばめられています。
これらの諸学問を用いて現状の把握、そして来たるべき結果について予想しながら紀村は犯人に近づいていきます。
本書は同時に小説の事実を用いながら現在の日本の抱える問題を指摘しています。
天下国家を考えることなく、省、局、課、そして自己利益を図ろうとする官僚達。経済の理論も考えることなく、現状の維持を図ろうとしかしない、東大法学部出身の大蔵官僚。
こうした官僚の実像について筆者は批判的観点ではありますが、かなりリアルに描いているのではないかと思います。また、大臣の答弁作成過程など官僚が実際に行っている業務についてもリアルに書かれているのも本書の作者が官僚であることから来るものでしょう。
しかし同時に官僚の可能性、そして啓発をも本書は意図しているように思いました。本書最後の部分になりますが、
「・・・官僚は信念・理念を持って理想論について考えることのできる、数少ない恵まれた職業です。学者と違って実行力もある。しかし、最近は、そういう恵まれた立場にいることを忘れて、私利私欲の追求に走るおろかな官僚が増えています・・・」
という件があるわけですが、これは筆者の現在の官僚への問題意識とともに、官僚に対する期待を表しているのではないかと思います。
また、官僚だけではなく、次の選挙が最大の関心事項である政治家、および利益団体についても的確な描写があるように思いました。
本書は単なる官僚の実態や、政治学・経済学の紹介本に留まるものではないと思います。ミステリー、推理モノとしてもかなり読み応えがあるように思います。現実が緊迫する中で、紀村は情報収集し、物証・動機が不明確なまま、犯人の推理を試みます。そのような緊迫した状況の中行われる推理モノとしてもその辺のよく分からない「ミステリー」を謳うものよりも出来がいいもののように思いました。
実際、二転三転し、読み手を引き込みはらはらさせる展開を読ませ、かつ2冊の文章量でありながら冗長に感じさせない(むしろ僕の場合かなり引き込まれて土日の休み中ずっと読んでしまいました)実力は相当のように思いまます。(物語についてはこれ以上踏み込むと読む人の興がそがれてしまうのでここで留めておきます。)
あと、作中に出てくる人物も個性的でそれぞれ魅力的です。尊大な感じで国民を馬鹿にした感じを隠さない紀村、その下でこき使われている新人官僚の安田、理想化肌でアメリカで経済学を学んだ脇井、脇井のかつての恋人で国会議員の政策秘書をしている聡美、未来研究所で働く諸学問を収め、紀村をして変人と言わしめる、紀村の相談者となる佐室。どの人物も結構引き立てられており、小説としても申し分ありません。
官僚論についてと合わせて、あるいはそれ以上に本書の最大のテーマとなっているのは政・官・財が複雑に密着し、日本が良いときだけではなく、悪いときでさえもその変革を阻む、日本の政治システムです。この政官財の相互利益システムのことを『鉄の三角形』というのですが、毛利元就の「三本の矢」のようにこのシステムはそれぞれが相互補完し、なかなか折れない強固なものとなっています。
この「三本の矢」は、官僚・政治家そして様々な人々の理想を阻み、失望させて行きます。そして彼らの利益のために国民の利益が阻害されていくことになる、本書にはこのシステムについての問題意識が随所に表れてきます
「敗けたな」・・・
「・・・でも」・・・「私達はいったい、誰に負けたのかしら。・・・さんも・・・さんも・・・誰もこの戦いに勝ってなんかいやしない」
「―日本だよ」・・・「日本というシステム敗けたんだ」
「日本…」
「そうだ。日本、あるいは三本の矢だ。」
物語終盤のこのシーンは、これまでの展開と合わせて感慨無く読むことは出来ませんでした。
ついでに述べるのであれば、このシステムそのものだけではなく、このシステムによって不利益をこうむるはずの国民についても、民主主義制度の中、何故「三本の矢」が打ち崩せないのか、ということを説明する中で問題を提起しています。少数の利益団体が多数派であるはずの国民よりも何故優遇されるのか?「争点の束」「合理的無知」など政治学の必須知識が色々出てきて具体的に例示されているように思います。
ただ、この点については筆者はあまり国民には期待していないような感じを受けました。はっきりとは読み取れないですがエリート、とくに官僚への期待を感じさせる結末であったように思います。その正否の判断は読み手それぞれでしょうが。
このように独善性のある部分も否定しきれませんが、読み手を引きこむ力のある小説だと思います。
『外交官の仕事』に引き続きの官僚(?)本ですが、官僚を批判するにしろ、官僚になりたいにせよ、官僚の実態とともに、問題意識を養うという意味で、やはりお勧めの一冊です。
『日はまた昇る』 [書籍:『』「」付記]
『日はまた沈む』という本をご存知でしょうか?1989-1990くらいに出された本で、1993年の日本のバブル崩壊を予想し、ベストセラーになった本です。
その著者であるビル・エモット氏が約15年のときを経て世に出した本、それが『日はまた昇る』です。
この本はタイトルからも分かるように日本経済復活を宣言し、長い15年間を経た後の今後15年の日本経済は、無論留保をつけながらですが、明るいものであるということを予想しています。
著者、そして訳者も書くように日本経済の低迷は実に長いものでした。長い思い切った改革はなされることも無く時間が過ぎ去っているように見えました。このまま、日本は東のほうの小さい国にまで衰亡してしまうのではないか、という悲観論も多く流れたよう思います。
しかし、とこの本は述べます。気がつけば今の日本の制度は10年前と比べれば驚くほど変化しているのです。昨日今日と比べればあまり変化していないように見える日本しかし、もっと長いスパンで見ると日本は確実に変化しているのです。
日本の官僚、政治家は少しづつでありますが、改革と呼べるものではありませんが、しかし着実にやるべきことをやってきたのです。
「徐々に」
ビル・エモット氏はこれが日本を語る上でのキーワードであるということを指摘しています。日本で改革が行われたことは明治維新とGHQの戦後の改革しかありません。しかし、議論がなされ、長い時間はかかりますが、一度方針が決まれば、着実にその方針に従って行動を行う。それが日本だというのです。
時間がかかりました。バブル崩壊後日本の政府は最初、過ちを認めない、危機は存在しないという態度を採りました。日本が日本の現状を認めたとき、日本は徐々に変化をしていくようになったのです。
日本経済は復活しました。OECDが日本の成長率を低く見積もっているが、これは過去の日本の経済の低迷に引きずられている。政府が変化求め続ける限り、日本の経済は順調に成長する。サミットに出るたびに、説教を食らうということにはならないだろう。
2005年9月の選挙は日本の変化が継続されること裏打ちするものとなった。小泉首相がたとえ今年の9月に引退しても、日本がかつての姿に戻ることは最早無い。
無論、懸念はある。長い不況の中、労働流動性が高まっていく中、若者が労働市場に入ることが出来ず、技術の伝承が十分に行われていないかもしれない。しかしまだ十分に取戻せる範囲内だ。
人口の減少は極めて重要な問題である。しかし、日本はかつてから高かった設備投資の成果により、生産性を高めるだろう。隣国中国よりも大きい経済規模を保つことは無理かもしれないが、没落することはないだろうし、一人当たりの所得はもっと高くなるだろう。
中国との関係は重要である。中国が拡大するにつれて、日本経済は劣勢にならないか、という懸念はすくなくとも今後数十年においては妥当ではない。中国が得意とするのは、国内の豊富な労働力に支えられた、ローテク・ミドテクの製品であり、日本が得意とするのはハイテクの製品である。中国製品と競合するのは全体の20%程度に過ぎない。
また、自動車、ナノテクノロジー、ロボット産業、環境関連技術等は今も、そして今後暫くは日本は世界の最先端を走り続けるだろう。
日は一度沈んだ。しかし、長い夜を経て再び日はまた昇る。
と、こんな感じのことが書いてます(ちょっと微妙に本文に書いてないことまで書いてしまってる気がしないのでもないですが)。
日本の事情をかなり理解して書いているなあ、というのがよく分かり、また実際に大変分かりやすい文章で良かったです。
その辺の日本人(僕含め)よりも日本の経済の実態を理解しているように思います。むかしから日本人は外国からの評価に弱いもので、僕もその一人なので恐縮なのですが、こういうふうに外国の人に太鼓判を押してもらうとうれしいです。
特に日本は「徐々に」変化する国である、というのは日本に対して相当の知識がないと指摘できないですね。
あとこの本の指摘の中で大事だと思ったのは、私達はすぐ最近と比べてあまり変わっていないことを嘆きますが、同時にもっと長いスパンで見るできである、ということです。
なるほど向かいと比べる日本もずいぶん変わったように思います。90年代の気分だとホリエモンとか出てこれなかったでしょうからね。
ところで、この本には対中関係、靖国問題についても言及がなされています。靖国の箇所について言えば、日本人から見れば少し奇異に見えると思いました。
しかし、余計な靖国に知識とか日本人の宗教観についてあまり理解していない分、主観を排した論理でものを語っていたように思い、新鮮でした。あと、大事なのは英語圏とかの人は靖国をこんなふうに見てるんだと、というのが分かって参考になるのではないかと思います。
あと、東アジアについて、このまま、特に共産党政権のままで、中国が東アジアの覇権をとることは無いように思える、ということについても指摘してました。こちらは幾分論理と実証が弱かったですが、やはり日本も日がアジアの主導国の一つとなるであろうことを予想しています。
なんかどこかの省庁の説明会に行ったらやたらこの本についての言及がありました。省内ではやってるのかな。
そんな感じの本です。
台湾2日目(夜市) [デジカメ写真集]
またまた続き。2日目の夜は夜市に行ってきました。何か怪しいものが沢山ありました。
何を食ってると思いますか?
鴨の頭です。顔全部です。くちばしまでパリパリで旨かったです。脳もまた珍味。
沢蟹です。カリッとしていてこれまた美味。
このほかにも羊肉とか怪しいお茶とか日本では味わえないものを沢山食べました。
極め付きはこれ。落ち着いてから見てください。↓
台湾2日目(故宮) [デジカメ写真集]
2月28日10時起きる。
午前中を利用して故宮へいった。タクシーで行ったのですが、こちらのタクシーはすごい。日本人スタンダードでいえば理解できなくらい無茶をします。ギリギリのスペースが少しでもあれば無理やり抜かしますし、スピードも速い。確実にノリで走ってます。そんなスピードでもこちらに話しかけてきます。ドライバーのおっちゃんたまに前見てませんでした。
ということであっという間に博物館、故宮に行きました。有名なものらしいです。まず、博物館のくせにというべきか、外見からお城になってます。日本の博物館だと外見はあまり関係ないのかもしれませんが、中国では形から入ってくるのかもしれません。
ということで入ってみましたが、なんと現在工事中とのこと。多くの展示物が見れませんでした。
といっても結構あったのでそれを見て僕は個人的に楽しみました。皇帝の印綬とか、陶器、書道、水墨画、古代の青銅器など等、工事中とは言え日本のへたな博物館よりはずっと良かったです。日本にもこういう博物館が出来ないものか・・・
ところで入り口あたりにあったのですが、
注意書きです。
飲食禁止とか、撮影禁止とか分かります。
一番下の喧嘩しないでください、というのは何なんでしょう?たまに見る国会に中継で台湾人が喧嘩っ早いというのは知ってますが。しかも上と違って「禁止」じゃなくて「請」になってるし。
あと、英訳が中国語に比べて表現が穏やか過ぎます。あまり注意する気が無いようです。どうもこの注意の対象は台湾人、中国人だけのようです。
故宮はそんな感じで終了。写真に取れないので、感動を十分に伝えられないのは残念だ。
台湾2日目(飯、お昼篇) [デジカメ写真集]
台湾について、次は飯です。
故宮のあと、飲茶店に行きました。色々食べました。旨かったです。あと健康にもよさそうです。
正面の怪しい男は僕です。どうでもいいのですが、ちょっとメガネを塗りつぶしてみました。今まさに食わんとす、といところですね。
旨かったので、余勢とかって、僕ともう一人は台湾で更にグルメを求めその辺をうろつき、デザートを食べれるっぽい店に着きました。
・・・どうですか?旨そうに見えますか?
まずいです。
いや、全体は不味くないのですが。ココナッツはダメです。全ての味の調和をぶち壊しです。
こっちはまあまあ。葡萄とかパインのアイスを氷とともに食うというものです。まああり得るな、という以上のものではなかったですが。
ちなみに他の別行動チームはきちんと観光用の本を持ってお勧めのケーキ屋に行っておいしいものを食べたそうです。
くそう、はぐれさえしなければ。
日本のイメージは世界一 [国際法・国際関係]
面白い記事を見つけました。
http://www.globescan.com/news_archives/bbcpoll06-3.html
英国のBBCが国際世論調査機関Globe Scan社が米国のPIPAと共同して2005年10年から2006年1月にかけて33カ国、約4万人の人を対象に行った自国以外のイメージに関する世論調査です。
なんと、というべきか、以外だ、というべきか日本はEUという国際機関を除けば一番イメージのよい国家として評価されているようです。それ自体すばらしいことです。この原因はWWII後、日本が悪いことをしてこなかった、自主独立といって勝手な行動をとってこなかった、ODAなどの活動を地道にやってきた、国際機関、国際条約の運用を支えてきたことによるものだと思います。
というのもこういうイメージというのは悪いイメージは残るものですし、よいことというのは継続的に行わないと評価してもらえないからです。米国がイメージの悪いことをしていたためにイメージが悪いことと比較すればわかるのではないのではないかと思います。
以下、国別の評価を見たいと思います。
当然ですが国別にみても評価がよいです。留意点は4点。
1点目は米国で良いということ。日米同盟の前提としての米国民の信頼は大丈夫なようです。欧州もよいです。
2点目は中東でも良い、ということ。自衛隊、PKOの派遣が成功しているようです。うまく自衛隊を出しているみたいで、これからも慎重な自衛隊の派遣が望まれます。
3点目は中国韓国以外の東アジア諸国の評価が大変良い、ということでしょう。ODAとか頑張ってきたせいでしょう。よくやった。顔の見えないとか言われてますが、必ずしもそういうことは無いのかもしれません。
4点目は中国韓国のイメージが悪い。極論を述べれば、中国韓国だけが日本のイメージが悪いです。
やや不快ではありますが、だからといって中国韓国がけしからんと思ってはいけないのだと思います。日本のイメージが良いから正しいということではないのでしょうし、抑制的な態度こそが日本のイメージを高めているのだとおもいます。
実際、中国は2004年の調査から2005年の調査にかけてイメージがかなりダウンしています。これは反日デモなどのように2005年には中国の人権状況が批判されるようになったからだと思います。
ここで注意しなければならないのですが、一国平和主義はだめですが、日本はあまり単独行動をとらないように気をつけるほうが良いのかもしれないということですね。そういうことしてる国はどうもイメージが悪いみたいです。
とりあえず恣意的要素は含まれざるを得ませんが(どうやって調査してるんだとか、場所が特定されていないかとか)、数値的に「日本は嫌われている」というイメージはないです。
また、このようなことがBBCとかで報道されること自体にも意味があるように思います
日本の歩んできた道は成功しているといってよいところがあるようです。こういうのは外交とかで生かせないのかなぁ。
『外交官の仕事』 [書籍:『』「」付記]
日ごろ国際関係には興味を持っているつもりですが、実際に外交官がどのようなことを考えて行動しているのかはよくわかっていないような気がする。
そこで実際の外交官であった人の本を呼んでみることにしました。
2005年10月と最近書かれた本ということで選らんのがこの本です。
内容は大きく分けて10章に分かれて書かれています。
1.大使館の仕事
2.外交官の作られ方
3.本章で働く外交官
4.情報収集
5.ODA
6.文化
7.人事
8.政策決定過程
9.広報
10.日本の戦略論
とまぁ、こんな感じです。
結構ためになりました。普段テレビで見ているだけだったり、また国際関係を勉強をしていても、忘却しがちなのが「実際に実現できるの?」「どうやって行うの」という視点。本書はそうした視点を読み手に与える契機になるのではないかと思います。
国際関係を勉強している人には「具体案」なるものを出す人がいます。かく言う僕もそんな一人でしょう。しかし、それでもまだ抽象的なのだな、ということがよくわかります。
本書の作者は元外交官ということで、自らある政策を行ったときどのようなことを行ってきたのかがかかれています。
「・・・すべきである」というものはあるかもしれません。しかし、実際の手足となる外交官の一人ひとりがどのように動けばそれが達成できるのか。現実的に可能な政策を考えるとき、本書のような視点は必要なのだと思います。
本書で書かれている外交官像は「アヒルの水かき」をしている外交官、といったところでしょうか。例えば「情報収集」というの言葉はかっこいいですが、では実際に情報を収集するのは、かなり地道な作業であることがわかると思います。ひとつの情報を得るのだって、言うのは簡単ですが、具体的には大変なんだなということがわかります。
本書が国際政治の一般的な本のように、安全保障、経済、PKO・・・といった政策で章立てされておらず、外交官そのもの、そして彼が持っている手段に着目した分け方をしているのも、実務として外交を意識して書かれているからであると思います。
「人」としての外交官、世間では外交官に対して一方的に過ぎる批判が多いように思いますが(的を得ていないものが無い、というわけではないですが・・・)、もう少し落ち着いて物事を見てほしいように思います。
と、ここまで書いて批判めいたもの、というか若干の留意点を。
僕は結構理想主義的なところもあるせいか、現実から論ずる議論には納得しても、どこかで抵抗する部分があります。そういう議論をする人に対して心のどこかで、「単に現実に追随しているだけではないのか」と思ってします。単にひねくれているだけかもしれません。
おそらく本書はそうした現時追随本ではないと思います。現実はこうしうたものだ、ということを示して、その上で物事を考えるべきであるということを考えて行動するべきである、ということを主張していると思いますが、どこかでひねくれている自分がいます。
それでいいんだよ、と思っています。本を読むときにはこうした批判的視点は必要なのだと思いますが、どうなのかなー、と考える日々です。
外交官志望の人、国際関係を勉強している人、だけではなく、多くの人に読んでほしいように思う本です。具体的なエピソードを交えながら読みやすい書き方がされています。読みやすいのは筆者が昔小説を書いたことがあるからだと思います。
台湾への道(1日目) [日々是]
前回書いた討論大会に引き続き、そのまま台湾旅行へいきました。今回はそのお話。
予定では
1610時 大会終了
1800時 成田空港(旅行会社の人に2時間前には来いよと言われていた)
2000時 出発
のはずだったのですが、予定通りというべきか、大会は予定通りに終わらず長引く。審査員が大会の感想を述べているが、あまり耳に入らない。ぐだぐだしゃべるなと半切れ気味に話を聞く。
やっと終わって帰ろうとしたら、1630分。さらに大会の委員の人が全体写真をと言い出す。希望働き先の人の言うこと、無下には断れず、結局写真を撮ることに。チーム名oparation Kに名前を使われたKが敗北の責任を取らせるために僕に写真によく映る場所に行って恥をさらすことを強要する。写真は某省のHPにさらされるらしい。チーム名に名前を使われ、HPにそれがさらされるKよりはましだが、恥ずかしい
終わった瞬間に会場をすぐに出る。準優勝商品であるトロフィー、賞状、景品、およびただでくれた外交フォーラム約1年分、大会用資料はそのまま台湾に持っていくことに。こんなものを持って台湾に行くやつはいないな。
そして、タクシーで田町駅へ。
東京へ行き、そのまま成田エクスプレスへ。
1830分に着く。友人に出会い受付へ。
なんとか大丈夫なようだ。というか結構余裕があったかもしれない(反省はしてます、友人を無駄に不安にさせ、申し訳ないことしました)。
途中入国管理で探知機に引っかかりつかまって身体検査される以外は問題なく飛行機へ。
2000時出発。
飛行機に中では、討論大会の内容、最近の中国情勢など最近知ったこと体験したことをひたすら友人にしゃべるといううざいことをする。
2250時到着。税関がザルで簡単に通してもらえる。トロフィーとか外交フォーラムとか意味のわからないものを持っていることで取調べを受けないかと心配していたことが杞憂に終わる。
どうやってホテルに行けばよいのかいまいちわからないので、英語ができる友人にdepend onしてホテルへの行き方を尋ねる。すると日本語で返信が。どうやら台湾では日本人が英語を使うより、普通に日本語しゃべったほうが通じるようだ。
両替をする。1円=0.27くらいらしいが、台湾の通貨単位がよくわからない。台湾元とか台湾ドルとかとよくかかれているが、紙幣には圓(えん)と書いてある。通貨の呼び方自体が台湾の置かれている状況が反映されているのだろうか。
案内されて高速バス停へ。
チケットを買い、バスへ。
バスに乗っている間、友人がほかの関空から来ている友人に会えることを楽しみにしている。僕と二入で旅をしていると安心できないのだそうだ(変な意味ではないです、どこかに迷いかねないとか、そういう意味です)。失礼な。
2350時くらいだったか。ホテルにたどり着く。
懐かしく思う。
が、みんなおねむのようだ。
関空からきた組は今日は有名なレストランで飯を食ってきたらしい。デジカメで写真を見せられる。うらやましい。
その後、今回の旅行を企画してくれた友人と深夜まで最近のことについてしゃべる。大学時代に属していたサークルもいろいろ変わっているようだ。時代のうつりかわりを感じる。
ところで途中でコンビニに行った。台湾にもコンビニがあるらしい。しかもどこかのJAPANで見たようなものをたくさん見かける。なんとなく微妙な気分になる。
そんなかんじで台湾初日はホテルについて終了。
大会の後、そのまま着てきてしまったスーツを着替えて寝る。
敗北を抱きしめて [日々是]
台湾から帰ってきました。2泊3日、事実上2泊2日の旅行でしたが、2月27日から3月1日まで、まさに激動でした。
そんな2月27日のことです。
以前から何回か書いてきましたが、2月27日に某省の討論大会の本線に出場しました。
ところがコンセプトが「楽して勝つ」とかぎりぎりの効率でやってきたのが問題で、予選の書面審査を突破した後、具体的に大会のディベート対策をあまりやってきてませんでした。さすがにまずいということで25日に数時間、26日に夜から徹夜、という突貫工事で対策を行うことになりました。
そういうわけで勝手に「なんとかなるか」ということにして、
大会に参加するために三田会議所へ。
そこでメンバー全員集合。スーツにして決まってる感が。
9時過ぎ、最終打ち合わせを行うためにマクドナルドへ。メンバー一人のKが徹夜のために既にグロッキー状態になっている。とりあえずドリンク剤などで強制的に元気にしてみる。
1030時三田会議所に到着。建物の立派さにちょっとびびる。
選手控え室に行くと他のチームの人たちがいる。皆真面目に最後の調整を行っている。なかにはものすごい資料を持っているチームも。ちょっと場違い感を感じる。
その後、ルール説明が行われる。
が、突然ルール変更。
突然のルール変更により、ぎりぎり感で行ってきたチームに動揺が。
ところで、この大会あまり出場チームがいないかと思っていたらかなり多くのチームが応募しているのが発覚。よく予選を突破したなー、と改めて感心する。
見学者もかなり多く、さらに緊張する。
本会場に行って、予行演習。そこで優勝すると、大臣直筆の色紙がもらえることが発表され、欲しくなる。
暫く待機。主張概要→反論→総括、という順番で行うことになっているが、気がついたら反論以降の準備が整っていないことに気付く。直前になって最後の抵抗の準備。
本大会開催。くじ引きにより第一試合でW大のチームと戦うことに。
テーマは外国人労働者の受け入れの是非。僕らのチームは否定側を行うことに。否定派の主張としては外国人労働者の受け入れを拡充するべきではない、という問題について「現時点は時期尚早」などど官僚答弁みたいなことを主張。うやむやのうちに乗り切る作戦を決行。
僕の出番は反論。相手が色々調べているみたいなので、というかこちらの資料があまり多くないので、プレゼンテーションと反論の数でごまかす作戦にでる。
勢いと反論の数、無駄に仰々しいプレゼンテーションで相手をびびらしてみる。
「外国人に対して日本にはまだ偏見が・・・・・・、偏見といういうのは言いすぎですが、そんな感じのものがあることは否定できない」
とか意味のよく分からんことを言っていたら審査員に笑われた。
しかし全体的には成功したように思える。
あと、対戦しているうちに相手がよく調べていることに気がついてこちらの不誠実さに改めて反省する。正直手ごわかった。大会をなめてました。
そんな感じで一回戦終了。次の準決勝二回戦のため(見せてもらえない)控え室に戻ることに。
控え室で相手を会話。大変誠実な人柄に心うたれる。
決勝進出チームの発表。
なんとか無事に出場。大学院チームなのに一瞬で敗北はさすがに恥ずかしがったので、」とりあえずよかった。
決勝は予選を圧倒的な点数差で第二試合を勝ち抜いたS女子大チーム(何かゼミで出ているらしくこの大会を2年連続優勝中です)。
なんやかんやしているうちに、準備するまもなく壇上に。じゃんけんをして肯定派を選ぶことに。
テーマは「緊急人道支援は相手の政治体制、日本の外交上の関わりなく行うべきか」
正直相手をみくびってました。大変反省しています。
こちら側(肯定派)の主張概要を述べた後の相手の主張概要をみて、
「つ、つえー。しかもかなり調査してる。こちら側の資料で対応できないよ」
再び反論を行うことになっていた僕は、混乱。これまで想定していなかった論証が展開されることになり、緊張のためかうまく反論が思い浮かばない。
なんとなく反論も思いついたが、うまく整理できない。
特に外国人労働者はそれなりに調べたのですが、緊急人道支援はよく調べていなかったので、困りましたね。
時間が来たのでぶっつけ本番で、勢いだけで喋ることを決行。
いやー。正直痛かったです。
第一に、一応相手の主張に大体反論したのですが、いつ、どこで、どのように反論したのか分からない。
第二に、同じことを繰り返してくどい。
第三に、中身が十分に整理されていないぶん、プレゼンがどんどん仰々しくなっていく。たまに国会議員がイタいプレゼンを展開してますがそのレベル。
中身がないとプレゼンって空回りするものなんですよね。
そして第4に、最後に国境なき師団の元理事の言葉を引用して綺麗に決めようとしたら、引用する直前で時間が終了。引用する前に終わる。
僕の人生のなか、最悪のプレゼンテーションでしたね。
他のメンバーは頑張ってくれたんですけど、結局負けちゃいました。残念。
仮にも最高学府にいるものとして恥ずかしい(偉ぶるつもりは無いですが、やっぱり周りの目がありますからそれなりの行動をしないとなーとか思います)
準優勝ということで、壇上にさらされてきました。
なんか景品はすごかったです。賞状(大臣の宛名)、トロフィー、そしてアイシーレコーダー。(因みに一位の場合はデジカメ)
優勝できなかったので大臣のサインをもらえませんでした。うらやましいなー。
教訓:議論に勝つにはちゃんとリサーチのための準備をすること。油断はもってのほか。
『殺人方程式』 [書籍:『』「」付記]
推理小説です。読みやすかったです。面白いと思います。ただ、アガサクリスティなどの本格推理で鍛えられている僕が見ると、なんかだめなところが目に付いてしまうんですねー。日本の推理作家を信用してないのかな?
トリックまで述べるわけにはいきませんが、話を要約すると、あやしい宗教の教祖が「おこもり」をしている最中に、何故か隣の市の息子が住んでいるマンションの屋上で東部と左腕が切り落とされた状態で発見されます。一見不可能犯罪に思えるこの犯罪がどのように行われのたのか?というかんじのお話です
中々こった作品だと思います。推理が出来るので、それすらできない粗悪品の推理小説なんかよりもいい出来だと思います。
ただ、ちょっと登場人物が生かしきれていないかな。タイトルにちなんだトリックが出てきてそれなりに納得できますが、懲り過ぎかな、という印象がします。それにタイトルにするならば、もう少し「方程式」を作品全体に絡ませるべきでしょう。
後半一気に解決しすぎてしまうのもどうなかなーと。
というわけで普段の書評よりも厳しい評価です。
適当な心もちであるほうがかえって成功するもので・・・ [就職活動日記]
おかしーなー。
先日の採用試験、受かってました。
って、何の感慨も無いのですが。
就職活動のためのプレゼン技術がさび付いていないかの腕試しだったのですが、
絞ったらまだ出てくるようです。
評価までいただきました。それなりに良い評価みたいです。
良い点。
整理されている。分かりやすい。
悪い点。
長い。好きなところになると特に。
→要約すると、ぐだぐだやけど、まあ、シンプルやったから許したるか、っていこうことか。
上の点は就活のときの面接における難しい点ですね。自己アピールしなきゃいけんけど、やりすぎるとウザイ。
次回の予約をすることになりました。
Aさん「次回の予定を聞かせてください」
僕「3月3日まで忙しいです」
Aさん「研究とかほかの説明とかですか、短いものなのですがそれでも無理ですか。」
僕「主に日本にいないので、旅行で・・・」
Aさん「・・・(この時期に旅行とは)結構余裕ですね」
僕「・・・単に計画性が無いだけです」
Aさん「・・・計画性は持ってくださいね・・・」
等というちょっと微妙な会話がなされました。ということで次回は3月6日。
そういえば民間の中ではわりと本命の会社にはまだエントリーシート書いてないや。なんとかしないと。
この会社もこれ以降まだまだあるわけですが・・・