SSブログ

ミロシェビッチ死す [国際法・国際関係]

以下ニュースコピペ

<旧ユーゴ>ミロシェビッチ元大統領、拘置施設で死去

 【ブリュッセル福原直樹】オランダ・ハーグの旧ユーゴ国際戦犯法廷は11日、元ユーゴスラビア連邦大統領のミロシェビッチ被告(64)がハーグの拘置施設で死去したと発表した。
 元大統領は90年の選挙で旧ユーゴ連邦セルビア共和国の大統領に就任。97年にはユーゴ連邦大統領に就任した。90年代のクロアチア紛争、ボスニア紛争や、99年のNATO(北大西洋条約機構)空爆へと発展したコソボ紛争に関し、「人道に対する罪」「大量虐殺」などで99年5月に同法廷に起訴された。00年9月の大統領選で敗北、01年4月にはセルビア当局によって逮捕され、6月にはハーグの法廷へ移送された。
 第二次世界大戦後、欧州では最悪の悲劇となったバルカン半島での「民族浄化」を指揮した責任で、国家元首として初めて戦争犯罪を問われた。審理は継続中だが、心臓と高血圧の疾患を抱え、最近は健康状態を理由にたびたび中断していた。
 同法廷の広報官によると11日早朝、看守が独房を開いた際に死亡していた。死因に不審な点はなかったという。
 ◇最も憎まれ、最も愛された大統領
 【パリ福井聡】11日に死去したミロシェビッチ元ユーゴスラビア大統領は、冷戦崩壊後、民族紛争の弾薬庫となったバルカン半島に10年余り君臨した。その間、政治危機に直面するたびに民族感情に火を付けて人心を掌握し、欧米諸国からは「民族浄化を指揮した」と非難を受けたが、国内的には野党各派を分断・弾圧する一方、保守派からは圧倒的支持を得た。「最も憎まれ、最も愛された大統領」だった。
 同氏は90年代にバルカンで相次いで起きたクロアチア、ボスニア、コソボの紛争の際、常に「受難のセルビア」を演出する形で国民の心情に訴えかけ、自らの地位を保った。欧米諸国はボスニア和平交渉では同氏を利用したが、99年のセルビアによるコソボ抑圧では北大西洋条約機構(NATO)が対ユーゴ空爆を実施。しかし、空爆後も、同氏は国民の反NATO感情を引きつけて地位にとどまった。
 ミロシェビッチ氏の最大の罪は、側近登用と反対者弾圧で人々を恐怖に陥れ野党を分断した政治手法と、旧ユーゴ連邦を孤立化させ経済制裁を招き、国民の暮らしをどん底に突き落とした点だった。コシュトゥニツァ前大統領はこの点を突き、00年の大統領選で勝利。しかし、選挙後はミロシェビッチ氏を訴追せず、同氏は社会党党首のまま政治活動を続けた。
 同氏は国内で論議があった末、01年6月末に超法規的に国際戦犯に引き渡された経緯がある。欧米諸国に強く要求された新政権が、援助と引き換えに「前大統領を売った」とも言われる。
 戦犯法廷でもなお「セルビア人の大義」を主張し続け、セルビア人にとって認めたくはないが否定できない、愛憎半ばする存在だった。

 

ニュースを見たとき驚きました。ユーゴ紛争の巨星落つ、という感じでしょうか。特に欧米での彼の評判は最悪ですし、僕自身彼が悪くないと思っているわけではないですが、
今年度前期にユーゴ紛争について勉強し、ちょっと前に「戦争広告代理店」を読んだ現在、彼に対して若干複雑な感情を持っています。その意味では上のニュースの表現は若干不満があります。

ミロシェビッチはある意味冷戦直後の時代の中、時代を利用する、と同時に時代に利用された感があります。ちょっと感慨深いです。

ちなみに僕のパソコンもミロシェビッチとの思い出であふれています。今のパソコンには予測変換機能があるわけですが、
「ミ」と入れると

ミロシェビッチ
ミロシェビッチが
ミロシェビッチは
ミロシェビッチに

とか

民族主義
民族は何故殺しあうのか
民族浄化
民族浄化とは
民族主義的
民族問題

とかなんか不幸な感じの単語しか出てきません。

それもちょっと悲しい。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

序 軍縮の現状と課題白い巨塔!? ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。