米国のAD 2 [国際法・国際関係]
昨日の新聞からこんなニュースを。
「「「日本が逆転勝訴、WTO上級委「米の反ダンピング関税不当」
【ジュネーブ=市村孝二巳】世界貿易機関(WTO)の上級委員会(裁判の上級審に相当)は9日、米国の反ダンピング(不当廉売)関税制度を不当とする日本の提訴について、日本の主張をほぼ全面的に認める決定をした。同日報告を発表した。昨年9月、大筋で米国の主張を認めた紛争処理小委員会(パネル、下級審に相当)の報告を覆す内容で日本の逆転勝訴となる。WTOが反ダンピング関税の制度の根幹を違反と認定したことで、米政府は制度の大幅な見直しを迫られる。
日本が上級委に訴えていたのは、米国がダンピングの値幅を決める「ゼロイング」という計算ルール。上級委は、日本の主張を受け入れてゼロイングの制度自体が協定違反であると認定した。 (02:13) 」」」
「「「経産相らWTO上級委の決定を歓迎
甘利明経済産業相はWTO上級委員会の報告書公表を受けて「米国が勧告を早期に履行し、ゼロイングを廃止することを強く期待する」と歓迎する談話を発表した。政府はゼロイング廃止に向けた協議を米国と始め、年内の撤廃実現を求める方針だ。
麻生太郎外相は「ルールに基づく多角的自由貿易の維持、発展に資するものとして高く評価する」との談話を発表した。。」」」
WTOにおいても中々画期的な判断です。これまで事実が無いとかで、判断を避けてきた感があったのですが、ついに米国のAD制度そのものを違反とする判断が下されました。日本も良くがんばった。
あとは米国がこの判断に従った行動するかどうか。議会は民主党なのでちょっともめそうな気がしないでもない。
日経新聞では国際面でちゃんと乗ってましたが、朝日とかには載ってなかったらしい。へんな主張ばかりしてないで、こういう中身のあることを載せてほしい。
国家責任における私人行為の帰属 [国際法・国際関係]
新年だからといって特にうれしい内容を書くのでもなく、読んだ論文の感想を。
薬師寺公夫「国際法委員会「国家責任条文」における私人行為の国家への帰属」(『国際社会の法構造:その歴史と現状』に収録)を読んだ。
論文の趣旨は私人行為の国家への帰属について、国際法委員会ILCの議論を中心に歴史的な検討を加え、現在の「国家責任条文」の8条、9条、11条の検討を、同時並行的に出てきている国際判例と比較検討していくものです。
私人行為の国家への帰属について、ある程度歴史的な経緯を踏まえることによって、全般的に理解していく、ということなのですが、これがなかなか難しい。
歴史的な経緯を踏まえるというのが重要で、今でこそ私人行為の帰属ということが普通に論じられているが、過去においては私人の行為について国の責任は、過失、ないし相当の注意義務の文脈で論じられることが主であった。
ILCの作業それ自体が大きな影響となって、私人の行為について直接帰属させることがとられるようなになる。
同論文では、帰属のアプローチが一般化すると、それにより国家責任追求のための門戸が広がることになり、そrねいとおない帰属する範囲拡大していく傾向があることも指摘されている。
論文の最後のほうで多く検討されていたのが、国家責任条文8条の、指示又は指揮若しくは支配、に関して、厳格な解釈をしているとされるニカラグア事件の基準とタジッチ事件の「全般的支配」に関するものである。
ここでは若干指摘されているだけで、あまり論じられなかったが、国家責任条文がどこまで私人行為の国家への帰属について一般的なルールを示せているか、ということである。かつての草案もソ連における政党のような、私的な団体といってよいものについて十分に想定できていないなどの批判があった。現代においても、私人と国家の関わりについて、様々な形態が出てきている。
例えば、最近よく聞くガスプロムは一応会社ということになっているが、ロシアとのかかわりは相当明白である。日本でも郵便局は国の機関だったけど、郵政公社はどういなのか?
ここで第一に重要になるのは国家責任条文4条5条になるであろう。また、この論文でも指摘されていたが、4条、5条の議論に漏れるものについては8条における検討もしていく必要があるだろう。この辺の公と私の区別が困難な部分についてちょっと調べて行きたいと思うが、その前提として私人行為の帰属の議論をある程度体系的に整理し、勉強する際に、本論分は有効であった。
ユノ トレイダー事件 [国際法・国際関係]
年末なので余計な宿題を残さない、ということで判例まとめ。
国連海洋裁判所の事件です。
セントヴィンセント(以下、原告)船舶のユノトレイダー号がギネアビサウ(以下、被告)のEEZで漁業法で捕まってしまいました。それで荷、乗組員あわせて船舶ごと抑留されてしまった事件です。
抑留後、被告は色々あったあとにユノトレイダー号を没収しようとします。また、保証金を支払ったのですが乗組員を解放する様子が見られません。
そいうことで、原告が被告を訴えたのが概略です。
国連海洋法条約(以下、UNCLOS)292条には船舶及び乗組員の解放についての規定があって、話し合いなど解決しない場合、船舶の旗国が国連海洋法裁判所に行くことができます。
被告は最初に管轄権を争います。292条では、旗国が提訴できることになってます。過去の先例に照らせば、
「原告の国は提訴の時点において旗国でなければならず、最初の逮捕抑留の時点で旗国であったというだけでは、裁判の管轄権は認められない」
のですが、被告によればユノトレイダーは既に被告の当局が没収したので、現在のユノトレイダーの旗国は被告(ギネアビサウ)であるということらしいです。
一見無茶苦茶な様なことを言っているのですが、裁判所もそう思ったのかもしれません、あまり理由をはっきり言わないで、本件では上記先例のようなことはいえないとあっさり、被告の主張を却下しました。理由をもうチョットはっきりさせて欲しかった。
次に受理可能性に論点が移ります。
被告は受理可能性でもユノトレイダーの国籍に基づいた主張を行っているのですが、当然のように却下されます。また、本件抑留はUNCLOS73条1項の手続きに従っていることを根拠もありましたが、原告も73条1項については争っていないこと(むしろ争っているのはその次の73条2項)を理由に却下されました。
それで本案です。原告の主張は乗組員及び船舶の釈放に関するUNCLOS73条2項です。73条2項では
「拿捕された船舶及びその乗組員は、合理的な保証金の支払又は合理的な他の保証の提供の後に速やかに釈放される。」
ことが求められています。原告は保証金は払ったのだからはやく釈放しろという主張です。
裁判所は、2項については73条4項
「沿岸国は、外国船舶を拿捕し又は抑留した場合には、とられた措置及びその後科した罰について、適当な経路を通じて旗国に速やかに通報する。」
と関連して解釈しなくてはならないということ示し、73条2項は公正への関心をその目的とすることを確認し、被告が旗国に通報を行っていないことに留意します。
また、被告は乗組員はそもそも抑留されていないことを主張し、裁判途中に乗組員のパスポートを無条件に返還したことなどを指摘します。裁判所は、直前の被告の行動に関わらず、原告の主張に応じ、被告には乗組員、船舶の解放義務があることを判断します。
原告はorderを求めていたと思うのですが、裁判所は判決主文は解放義務があることをdetermineしています。よく分からんのですが、これには違いのがるのかもしれません。分かったら追補します。あと73条2項と4項の関係を言及した部分がつながっているようで結論につながっていないような気がするのは気のせいでしょうか。無くてもいい気がするのですが、それは素人の意見か・・・。そのうち調べることにして、とりあえず終了。
来年はもう少し色々書きたい。
米国のAD(アンチダンピング)1 [国際法・国際関係]
個人的には画期的なことなので、紹介を。
表面処理鋼板反ダンピング関税 ITC13年ぶり廃止
12月16日8時32分配信 フジサンケイ ビジネスアイ
【ワシントン=渡辺浩生】米国際貿易委員会(ITC)は14日、日本などから輸入している表面処理鋼板の反ダンピング関税を1993年以来、13年ぶりに廃止すると発表した。日米貿易摩擦の象徴となったが、トヨタ自動車など日系3社とビッグスリー(米自動車3大メーカー)が共同で撤廃を要求。ITCも鉄鋼業界の競争力回復で必要性が薄まったと判断した。 |
日本も色々言われていますが、国際経済法分野では米国と戦ったりします。とりわけ、日米が激しくやり合っているのはAD=アンチ・ダンピング措置に関してです。詳しい法的検討は次回以降に行いたいですが、米国がADを口実に保護主義的な政策を結構行っているわけです。
上のニュースもそのうちの一つです。通常、特に2000年以降ITCもしくは商務省がADを見直しをして廃止することは無かったわけですが(産業会が全く問題にしていなかったものを除く)、今回は日本企業だけでなく、米国企業をも巻き込んだロビー活動を行った成果もあって、廃止が決定されました。
この問題については2004年に、日本が米国を相手取りWTOに提訴しています。それで2006年9月にパネル(一審に相当)において、主張の一部が認容されたものの、その他の部分は認められないという判断がなされてしまいました。
翌月政府はこれを不服として上訴。現在、上級委員会で審理中です。
表面処理鋼板だけでなく、AD制度一般について米国がより適切な措置をとるように頑張ってほしいものです。
ピノチェト事件 [国際法・国際関係]
さて、今回はこんなニュースを。
ピノチェト元大統領が死去=軍政16年半、人権弾圧を主導-チリ
【サンパウロ10日時事】南米チリで16年半にわたり軍政を率い、晩年は在任中の左翼活動家に対する人権弾圧事件などへの刑事責任を問われたアウグスト・ピノチェト元大統領が10日、心不全のため首都サンティアゴの陸軍病院で死去した。91歳だった。3日に心臓発作を起こして入院、バイパス手術を受けていた。
葬儀は国葬ではなく、軍葬の形で12日に行われる。
ピノチェト氏は殺人などの罪で起訴されたが、死去により、「国家元首の犯罪」が十分解明されないまま、裁判は幕引きとなる。
世間ではどうか知りませんが、国際法の世界では有名人なピノチェト。
復習のため、ピノチェト裁判を振り返りたいと思います。
事件は元地理の大統領であったピノチェトが病気療養のためにイギリスに滞在していたところ、スペインの国際逮捕状に基づきイギリス当局に仮拘禁されたというものです。そこでスペインに引き渡すことの審査が行われます。
1998年10月28日、高等法院では仮拘禁令状の取り消しが命じられます。根拠は国家元首に対する刑事管轄権からの特権免除です。
1999年3月24日、貴族院は仮拘禁を適法とする判断を下します。理由は以下の通り、
①双方可罰
国際法上、他国等で犯罪をおかし自国内に滞在する者を他国からの請求に応じて訴追・処罰のために引き渡すことは一定の犯罪を除き、国家の義務とはされていない。各国は犯罪人引渡条約や請求国との相互主義が保たれることを条件とした国内法、あるいは国際令嬢によって引渡しを行うが、その際、引渡対象となる犯罪は、一般に重大犯罪に限定され、また、請求国・被請求国双方の刑法において犯罪とされているものに限られるのが通例である。[双方可罰(double criminality)の原則]
判決では、引渡請求時ではなく、犯罪発生時の可罰性を問題とし、
・スペインで実行され、属地主義に基づいて引渡が請求された拷問や殺人の共同謀議については、英国刑法上も処罰可能のであるため、双罰性の要件を満たすことを認めます。
また、
・チリで実行され、普遍的管轄権に基づいて引渡請求が行われた拷問行為またはその共同謀議については、英国法上も当該犯罪に対する裁判管轄権が設定されている必要があるところ、
英国が域外拷問行為に対して普遍的管轄権を設定したのは1988年9月29日以降(イギリスで拷問等禁止条約を国内法化した刑事裁判法第134条が施行された日)であり、英国が拷問禁止条約の批准を行ったのは12月8日、チリが10月30日であることから、
1999年12月8日以降行われた行為に限定して、双罰性の要件が満たされることを認めます。
②特権免除
国際法上、現職の国家元首は、国家の威厳を代表するため又は国家任務の遂行を妨げられないため、公的な行為か私的な行為かに拘わらずあらゆる行為につき完全な人的免除(immunity ratione personae)が与えられる。これに対し、任務を終了した「元」国家元首は人的免除を失うが、元首在任中の公的行為については、外国国家の活動の一体性(integrity)を保護するための事項的免除(immunity ratione materiae)を享受する。
判決は元首は在任中は完全なる免除を享有するとする一方で、元元首については、外交使節の元大使同様、在職中任務遂行のために行った行為についてのみ免除を享有するとしています。
そして貴族院は、拷問行為は元首の任務遂行のため行われた行為ではないとして、ピノチェトの免除の享有を認めませんでした。
その根拠はなかなか難しいところなのですが、
拷問等禁止条約の規定の構造、特に同条約が国家元首を含む公的資格で行動する者によって行われる拷問のみを国際犯罪として禁止した点、及び、同条約が引き渡しか訴追の義務(aut dedere aut judicare) に基づき、
そうした地位にある者に対する外国裁判所の普遍的管轄権を認めている点から考えて、
当該条約の独特の構造が元国家元首の事項的免除の承認と相容れないことに求められているような気がします。
その後結局ピノチェトは病気のため裁判に耐えられないということで、チリに帰国することになります。それでこの度無くなったということです。
拷問などの国際犯罪ならば、元首の公の行為ではない、というのは情において理解しますが、法的に妥当なのかは、もうちょっと勉強しないと分かりません。個人的には、国際的な刑事裁判所とかならともかく、やはり他国の国内裁判所で免除を享有させないのはやはり問題なのかな、という気がします(若干、法的な主張ではない気がしますが)。
国際法が個人を裁くようになった時代、その先駆的な事件として、今後も検討材料となる事件なのでしょう。
BSEとWTO協定 [国際法・国際関係]
かつてはあれだけ騒がれたBSE問題もはや昔という感じがします。
ジュリストNo.1321に「BSE問題とWTO」というタイトルの論文があったので読んで見ました。以下、そのまとめ。
事実を整理すると、日本政府はBSE発見を理由として、2003年5月にカナダ産牛肉、12月に米国産牛肉等の輸入禁止措置を取りました。そこでリスク管理などについての対日輸出プログラムを策定し、食品安全委員会でのリスク評価を経て、2005年12月に輸入が再開されます。
ところが直後2006年1月、米国から輸入された牛肉から脊柱含む子牛肉が発見され、再度輸入停止措置が行われます。その後、対日輸出プログラム遵守のため、マニュアル改定、査察強化、日本政府による現地査察を経て、8月に輸入再開となりました。
貿易に関してはWTOによって国際的な規律を受けます。WTOの原則は自由貿易なわけですが、正当な理由の下必要な範囲の貿易制限措置を取ることは可能です。今回の日本の措置が必要の範囲だったのか、ということを法的に診ていく必要があります。
WTOでは、衛生植物検疫措置の適用に関する協定(SPS協定)により検疫制度についての規律を定めています。SPS協定では各国が採用する措置の基準・規格を規律します。
その構成ですが、SPS協定2条1項は加盟国にSPS措置を取る権利があることを定め、2項において必要な限度で科学的な原則に基づいてとることを定めています。
さらに3条1項では、関連する国際的な基準がある場合には、原則としてその基準に基づいて措置を取ることとし、3項では科学的に正当な理由又は5条に規定された「危険性評価」に基づく場合は、国際基準よりも高い水準の保護基準をとることができます。
「危険性評価」は、科学的証拠のみならず、社会的な危険を考慮に入れることができ、加えて、適切な保護水準を決定にするに当たっては、経済的要因の考慮までが認められています。
また、科学的証拠不十分の場合は、入手可能な情報に基づいて暫定措置を採ることができるとされています。
WTOの上級委員会によれば、危険性評価が科学的に一致した結論ではなく、あるいは少数意見に基づくものであっても許容されると判断しています。
以上のように、生命のリスク・不確実性に鑑みて、かなり広い裁量を加盟国に認めているように思われます。
動物の伝染病に関する国際協力のための機関として、国際獣疫事務局OIEが存在します。OIEはSPS協定A3項(b)において動物の健康及び人畜共通の伝染病に関する基準、指針、勧告を作成する機関として規定されており、牛肉に関しては、「陸上動物衛生指針」を作成しています。
指針2.3.13.1.条1項は輸出国の危険性の分類に関わらず、BSE関連の条件を輸入に課してはならない産品を規定し、2項で危険性の分類に応じて措置を取るべき旨定めています。
そこで、指針2.3.13.1.条1項に定める産品が問題となりますが、月齢30ヶ月以下の骨を取り除いた牛肉を規程しています。
一方日本は、脳、脊椎などの特定危険部位の除去、月齢20ヶ月以下の牛に由来する牛肉であることを条件に2005年12月に輸入を再開しています。これは、OIEの定める国際基準よりも高い水準の措置です。
そこで次にSPS協定3条3項を考えるわけですが、政府は月齢21ヶ月、23ヶ月の発症例があることを主張しています。米国から疑問視されており、さらにそれ以上に科学的な検討をしている形跡が無いようです。また、OIE総会で日本は月齢30ヶ月以下の基準を支持しているのも、説得力を弱めています。
といっても、BSEには未だ不明な点も多く、OIEでも一般のものとは異なる扱いを受けています。BSE感染牛は助かる見込みはありませんし、人間に感染し、CJDを発症させる可能性もあります。故に畜産会全体への影響は大きく、消費者の関心も高い状況にあります。こうした社会的危険、経済的要因を考慮すれば、OIEの定める基準よりも厳しい措置を取ることが必ずしも不当であるとはいえないとも考えられます。
今回は日米でぎりぎりの交渉が行われ、最終的に同意による解決が行われました。とは言え、この問題がWTOで判断される可能性もあったわけであります。SPS協定は明確な科学的根拠を求めるものではありませんが、さりとて薄弱な論拠に基づく根拠を認めているわけではありません。
そのような場合、SPS協定の違反となる可能性があります。いずれにせよ、今回の日本の措置はSPS協定上のグレーゾーンにあった措置であるということが言えると思います。
感想:
日本のマスコミでは安全であることが完全に証明されてないものを食べるのは嫌だ、という趣旨の感情的な議論が多かったように思いますが、国際的なルールにはそんな理屈は通じないということでしょう。そんなことばかり言っていると保護主義の口実を多く与えることになり、現在の自由貿易体制が動揺してしまいます。自由貿易も人間の健康のどちらも捨てることのできない我々は、多かれ少なかれ、リスクと共に生きていかなくてはならないのでしょう。
いやはや制度を運用するということは難しいものです。
裁判権免除 2006年7月21日最高裁判決 [国際法・国際関係]
暫く実家に帰っていたのですが、戻ってきました。やはり実家はいいですね。
それはともかく、タイトルの判例を今頃になって考えてみるという話です。
裁判権免除とは、国際法上用語で、外国国家に対する訴訟について国内裁判所が管轄権をもたない、という原則です。
もうちょっと簡略言えば、国と国は対等であるという前提の下、ある国の裁判所で、外国国家を被告としてはいけないですよ、ということです。
裁判権免除に関しては、国家のどの行為に免除を享有させるべきか、という問題があります。かつて(今も無いことはないですが)、絶対免除主義か制限免除主義か、ということが議論されていました。
絶対免除は国の行為であるならば、全ての行為に免除が与えられるという考えで、
制限免除では、国の行為のうち、一定の行為には免除が与えられ(「主権的行為」と言います)、その他の行為は免除が与えられない(「業務管理行為」「商業的行為」などと言います)、という考え方です。
現在では、多くの国が制限免除主義を採用しており、慣習国際法としての地位を得たといわれております。
ただし、国家が自国裁判所において、外国国家に絶対免除を与えること(制限免除で免除を与えなくても良いとされる業務管理行為にたいしても免除を与えること)は、少なくとも当該国家への国際法違反を構成するわけではない、ということは留意する必要があるでしょう。そして、そのような絶対免除を長い採用し続けていたのではないかといわれていた国の一つとして日本がありました。
2006年7月21日の最高裁の判断は1928年の大審院が採用した絶対免除(但し、当時の判断としては絶対免除で問題は無い)を明確に否定したものと評価することができるように思います。
絶対免除か制限免除かということの、この判決により決着がついたように思います。そこで、主権的行為と業務管理行為をどのように区別をつけるのか、という課題が残ります。2006年判決では「その行為の性質上、私人でも行うことが可能」かどうかを基準にしています。
基準についても一応争いがあって、単純に言えば、国の目的により主権的行為かどうかを判断する「行為目的説」、契約など行為の性質に着目する「行為性質説」があります。前者が、国の免除の幅が大きくなり、後者が免除の幅が小さくなる傾向にあります。最高裁は、後者の「行為性質説」を採用していると解釈できるように思います。
ただ、世界の免除の実行を見ると、行為の性質を見ながらも、前後の文脈とか目的を加味して考えたりと性質以外の考慮されることがあります。本判決でいえば「特段の事情」が無い限り、という表現が存在してますが、これがどういう意味を持つのかは若干考える必要があるのかもしれません。
日本も遂に制限免除主義採用化と思うと若干感慨深くなります。
新特許条約 [国際法・国際関係]
世情では知的財産についての議論が多く行われています。
そんな知的財産と特許に関して大きな動きが今起こっています。なんてことが日経で色々言ってたのでまとめてみました。
特許の基準の統一に向けた条約、実体特許法条約の設立です。最近、日米欧を含む41国がこの条約の主要部分を合意しました。
この条約の意義は沢山あります。
第一に、特許の先願主義への統一です。これまで日欧は「先願主義」、先に申請したものに特許を認める制度、を採用してきましたが、米国は、これまで自らが伝統的に採用してきた「先発明主義」を頑なに堅持してきました。おかげで、色々齟齬が生じたり、訴訟になったりもしたのですが、遂に米国が折れてきた、ということで画期的なことです。
特許制度の効率化とか、分かりやすさでは先願主義のほうが良いといわれていたのらしいのですが、米国はエジソン依頼の個人発明家の伝統があって、そうした伝統が失われるとか言っていたのですが、米国もこれからは自分達の特許を、海外から守る必要性を認識しだしようです。
第二に、サブマリン特許を排除したことでしょうか。日欧では特許は18ヶ月ほどで後悔されることになってましたが、米国ではなっていませんでした。故に、特許を出願して黙ったままにして、他の企業などが特許技術などを使って莫大な利益を上げた後に、特許を根拠に特許料を求める訴訟を行うということがあったわけですが、今回の合意でほぼなくなったといわれています。
第三に、「新規性」「進歩性」の基準統一です。今まで、ばらばらなところがあったので、自国で特許をとっても、それを知った他者が他の国で特許をとってしまうなどということもあったわけで、その意味で発明家、研究者の負担は軽減します。
米国を槍玉に挙げる気はないですが、米国は新規性の判断にあたって、他国はともかく自分の国で新規であるかで判断したりすることがあるので、これを大きな成果でしょう。
なお、特許申請のための統一された国際機関を作るわけではないので、基準の統一と共に、各国特許庁の情報の交換を進めていくことになります。
新規性に関連しては「グレースピリオド」の統一も重要です、らしいです。「グレースピリオド」とは、発明の公表から特許出願までに認められる猶予期間のこととされます。
企業はともかく、研究者とかは最初に学会発表を行うことがありますが、これまで、米国では発表後12ヶ月後、日本では発表後6ヶ月後までは特許申請ができますが、欧州ではできませんでした。そのせいで欧州では米国で発表された論文を好き勝手使えていた、と指摘されており、米国が先願主義を認める代わりに欧州に要求したものであるといわれています。期間は12ヶ月に決まったらしいので、日本も期間が伸びます。
ということで、この実体特許条約が来年9月くらいの最終合意に達するように努力されています。米国議会も承認の方向ということらしいので頑張ってほしいところです。
日米欧で世界の特許の大部分を占める現在、この条約の意義は大きいでしょう。特に日本は世界一の特許出願数を誇る国にですので、メリットは大きいように思います。そのうち本当に特許承認のための国際機関なんてものもできるかもしれません。
ただ、中国、インドを含めた途上国の多くは入ってません。もともとこの条約の起草前に、途上国は途上国の技術発展のために特許技術を無償で開放しろとか言って生産性のある話をしなかったので、先進国が自分達だけでまとまって本特許条約の競うに当たっているという経緯があります。
生物資源保護条約なんかで、生物資源からの利益は途上国と先進国で衡平うにされることが求められてますが、この辺との絡みも面白いかもしれません。
特に、中国、インドが入ってくれなかったのは大きいです。これからどんどん経済発展していく両国で特許制度が齟齬が生じると、これからは苦労することになりそうです。ただでさえ、中国の日本への知的財産権への侵害は1兆円を超えているというのに。そのへんはまだまだ努力が必要なのでしょうが、まずは大きな一歩というところでしょうか。
英会話ができるようになろう! [日々是]
先日ようやっと授業の発表用レジュメを完成させ、開放されました。どっか遊びに行くか。
余裕ができたので、ちょこっとやっては、なんとなく終わり…を繰り返している英会話の訓練を再びやってみることにしました。
やることは大学院の友人と一緒になって、誰か一人が英語でプレゼンして、他の人はコメントをはさむ形式。
今回は僕がBBCにあった、日本核武装論について喋ってみました。あまり喋れませんでしたけど。
(小言:ところで、核武装について議論してもいいのではないか、という発言が何故核武装発言になるのでしょうか?発言者の内心はともかく発言は議論しても良いなのだからきちんと報道するべきでしょう。国内のことなのに、海外メディアのほうが事実を正確に伝えているのは情けない)
週一なのでやらないよりまし、という程度のものでしかありません。しかし、スピーキングはとりあえず喋らないと話にならんように思うので頑張っていきましょう。
今度はどれくらい続くのやら。他の二人に追いつけるよう善処したいものです。
Mフリードマン死去
Blog再開ということで取り上げたいのはフリードマン死去のニュースです。
最近とった日経新聞を見ると、一面にフリードマン死去の知らせが。さすが日経、これを一面にするとは(他のは見てないので他もそうしてる可能性がありますが)
フリードマンといえば、シカゴ学派の巨魁。現在世界に大きな影響を与える「マネタリスト」の大ボスです。1970年代までのケインジアン全盛の時代においても国家の市場への介入に否定的立場をとり、市場自体に委ねることを一貫して主張し続けました。
ニクソン時代には変動相場制への移行に一助をなしています。
フリードマンの主張は小泉政権以降の経済政策にも大きな影響を与えています。90年代の日本を見れば、ケイジアンの主張する財政出動の乗数効果が必ずしも妥当ではないことは言えるように思います(素人の意見ですが)。
恒常所得仮説によれば、個人は臨時的にお金が手に入ったからといっても、それを消費に回すとは限らず、貯蓄などを行うとのこと。何故なら、個人は老後など将来のことを考えて行動するからです。日経にも書いてましたが、まさに日本の状況を示しているかのようです。
現在の経済学において、フリードマンの主張が全面的に受け入れられているわけではありません。現在では、短期ではケイジアンが、長期では新自由主義がそれぞれ妥当するというのが多い意見のように思います(またまた素人の主観ですが)。
フリードマンが尊敬できる最も大きな点は、先に書いたようにケイジアン全盛の時代にあった時代にあっても、一貫して自らの研究を信じ、正しいと確信する主張を続けたことだと思います。自らの立場が学問分野で弱いものとなったとしても、孤立を恐れず、己が道を貫く。
簡単ようでこれほど難しいものも内容に思います。僕もこんな生き方ができるようになればと思います。まぁ、中々できないんですけどね。
逮捕 [日々是]
ところ逮捕と言っても、僕のことじゃないですよ、念のため。
先週の月曜日でしたかね。
村上さん逮捕されてしまいましたね。以前大学院に来ていて後援しに来ていたので、聞きにいったことあるのですが、
いいこと言ってると思うんですけどね。
(極論過ぎるかは人それぞれの判断に任せますけど)
しかし、法は法。破ってしまったら逮捕、ということも止むを得ません。あの人は法を犯さなくても金を稼げるから、捕まらないだろうとホリエモン逮捕のころに思っていたので意外だったですが。
ただ、法を犯したことと村上さんの考え方が当然のように結び付けられて批判されているのは残念です。
これで自由化の流れが止まることは無いと思いますが、国民と市場の心理的距離感はまだ遠いのかもしれません。
それにしても思うのは日本は出る杭がよく打たれること。
今日の大学院での授業でもそんな話がされてました。目立つ人をたたいてばかりいてこの国は大丈夫なのか?なんてことを考えてしまいます。
脱力 [日々是]
意味の無い数日を過ごした後の気分。
後悔と倦怠感しかありません。
人間的に再調整しますので、今日から自己改造計画を数日にわたり発動します。
計画は・・・、
これからまとめます。
うーん。意味不明。
失礼。
とりあえず。 [就職活動日記]
一昨日、内定もらった企業の人事の人と面談してきました。
どうやら早く来るか来ないかはっきりしろとのこと。
他のところが決まらないと決められないと述べたところ、
五月終わるまで待つとのことでした。
五月までに決まることは無いのでここはお断りする、という流れが確定ですね。
ここの中ではもうこの会社には魅力を感じ無くなっているので、
何時断ってもいいのですが、
この日は話を聞く、という趣旨だったので、それ以上深入りです終了。
意味の無い話し合いだった。
『「できる人」の時間の使い方~なぜか、「時間と心に余裕のある人」の技術と習慣~』 [書籍:『』「」付記]
「できる人」の時間の使い方~なぜか、「時間と心に余裕のある人」の技術と習慣~
- 作者: 箱田 忠昭
- 出版社/メーカー: フォレスト出版
- 発売日: 2005/11/16
- メディア: 単行本
前にこのシリーズの「聞き方」の本を紹介したと思います。
残酷なニートのテーゼ [ネタ]
http://peppa-aji.sakura.ne.jp/flash/yumei-kyara/kyara-1-18.html
こうならないように今は痛みに耐えて頑張るのみ、ということなのでしょうか…
データでみる今年の阪神 [日々是]
プロ野球も始まって一ヶ月くらいたったのかな。WBC効果があんまり無かったとか言われてますが、阪神の集客力はそれなりに頑張っているので、この人気が巨人の人気の復活、他の球団の人気UPまで持ちこたえていて欲しいものです。
今年もぼちぼちの位置にいる阪神。去年と比べてどうでしょうか。