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国家責任における私人行為の帰属 [国際法・国際関係]

新年だからといって特にうれしい内容を書くのでもなく、読んだ論文の感想を。


薬師寺公夫「国際法委員会「国家責任条文」における私人行為の国家への帰属」(『国際社会の法構造:その歴史と現状』に収録)を読んだ。

論文の趣旨は私人行為の国家への帰属について、国際法委員会ILCの議論を中心に歴史的な検討を加え、現在の「国家責任条文」の8条、9条、11条の検討を、同時並行的に出てきている国際判例と比較検討していくものです。

私人行為の国家への帰属について、ある程度歴史的な経緯を踏まえることによって、全般的に理解していく、ということなのですが、これがなかなか難しい。

歴史的な経緯を踏まえるというのが重要で、今でこそ私人行為の帰属ということが普通に論じられているが、過去においては私人の行為について国の責任は、過失、ないし相当の注意義務の文脈で論じられることが主であった。

ILCの作業それ自体が大きな影響となって、私人の行為について直接帰属させることがとられるようなになる。

同論文では、帰属のアプローチが一般化すると、それにより国家責任追求のための門戸が広がることになり、そrねいとおない帰属する範囲拡大していく傾向があることも指摘されている。

論文の最後のほうで多く検討されていたのが、国家責任条文8条の、指示又は指揮若しくは支配、に関して、厳格な解釈をしているとされるニカラグア事件の基準とタジッチ事件の「全般的支配」に関するものである。

 

ここでは若干指摘されているだけで、あまり論じられなかったが、国家責任条文がどこまで私人行為の国家への帰属について一般的なルールを示せているか、ということである。かつての草案もソ連における政党のような、私的な団体といってよいものについて十分に想定できていないなどの批判があった。現代においても、私人と国家の関わりについて、様々な形態が出てきている。

例えば、最近よく聞くガスプロムは一応会社ということになっているが、ロシアとのかかわりは相当明白である。日本でも郵便局は国の機関だったけど、郵政公社はどういなのか?

ここで第一に重要になるのは国家責任条文4条5条になるであろう。また、この論文でも指摘されていたが、4条、5条の議論に漏れるものについては8条における検討もしていく必要があるだろう。この辺の公と私の区別が困難な部分についてちょっと調べて行きたいと思うが、その前提として私人行為の帰属の議論をある程度体系的に整理し、勉強する際に、本論分は有効であった。


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