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「日中中間線は正しい線か?」東シナ海ガス田問題 [国際法・国際関係]

色々論点も多いですが、最初は境界画定から。

 

国連海洋法条約には排他的経済水域(以下、EEZ)と大陸棚に関する規定がありまして、

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中国と国際法。人権 [国際法・国際関係]

前回記述したように中国人と東シナ海について論争してきたわけですが、

意外と、というべきか国際法上の実りある実質的な議論ができたので、特に書くことがなくなってしまいました。僕としてはTVタックル並みの大論争になると思っていたのですが、ちょっと偏見が入りすぎていたのかもしれませんね。反省。

結論はICJ(国際司法裁判所)にいったら、日中中間線よりの東側、つまり日本側に移動する。ただし、中国の主張するようなに、中国200海里または沖縄トラフまではいかない。ということです。

日本の皆さん。あまり怒らないでくださいね。法的に見たら確実にそうなるのですから。理由は後に。

ところで、今日はおもしろい話を聞いたのでそちらについて、中国の人権問題です。

中国政府に人権概念がない、もしくは意識が薄い、ということがよく右の人から指摘されますが、
これはある意味正しいですが、ある意味間違いです。

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論戦! vs中国人(東シナガス田問題) [国際法・国際関係]

えー、前回なぜガス田を扱おうとしたかというと、前にちょっと研究したからなんですが、
前に調べたことがきっかけで中国人の人と東シナ海の帰属について論戦をすることになりそうです。

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東シナ海ガス田開発問題 [国際法・国際関係]

これからしばらく東シナ海ガス田開発問題を扱います。
ちょっと試験とか忙しいので少しずつになると思いますが、よろしければ見てみてください。

どうも色々知られていないこと、誤解されていることが多い見たいで・・・

間違った前提では国益は追求できません。
そうしないとへんな報道に振り回されます。報道の人たちはちゃんと勉強してるのかなぁ。
そうすると両国の主張が分かるようにもなって楽しいです。

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newsweekのCSR、企業の社会的責任特集 [国際法・国際関係]

ちょっと古いですが、2005.6.15号のnewsweek日本版から、面白かった記事を紹介します。この巻ではCSR特集をやっています。今回は少し前にその記事についてまとめたものを、貼り付けます。

国際関係なのか、国内問題なのか、どっちに分類すべきか迷いましたが、国際関係に入れておきます。これからの国際関係は企業、特に多国籍企業の動きを注目しないと、少なくとも意識しないと、いけないと思うので。

ニューズウィーク日本版 Newsweek Japan

 

 

CSRとは「Corporate Social Responsibility」の略で、日本語では「企業の社会的責任」と訳される。CSRはその意味が明確に定義されているわけではなく、多様な意味を持つ概念である。単なる社会的責任という意味ではない、1992年のリオ宣言などでうたわれた「サスティナビリティ=持続可能な発展」の概念が取り入れられている。
 「持続可能発展のための世界経済人会議(WBCSD: World Business Council for Sustainable Development)」はCSRを「企業が従業員、その家族、地域社会、そして社会全体の生活水準の向上のために、これらのステークホルダーと協働しながら、持続可能な経済発展に貢献すること」と定義している 。
 CSRの概念が提唱されるようになったのは、近年、冷戦終結の頃からである。原因は世界を席巻するglobalizationであり、CSRの課題とするところは、拡大する貧困、急速に進む地球の温暖化であり、均衡のたれたglobarizationである。
 先進国企業を中心にCSRはこの数年急速に受け入れられるようになっている。しかし、企業は何故CSRを受け入れるのか?CSRは企業にとって必要なのか、ということについては現在も激しい論争が存在している。
 1976年にノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマンはCSRの概念を否定する最も著名な論者の一人である。フリードマンは市場原理主義の立場から、企業の責任はできるだけ多くの利益を上げて株主に還元することにあるのであり、企業が環境保護や地域貢献に資金を費やすことは、無駄であると論じた。
 この考えは市場への強い信頼を前提にしているが、アジア通貨危機など、市場への信頼は絶対ではない。米国でもCSRが広く浸透するようになったのは、ITバブルの崩壊と相次ぐ会計スキャンダルに米国企業が恐れを抱いたためであるといわれる。企業への信頼の失墜、経営者は株主、顧客、従業員からの訴訟を気にするようになった。
 CSR肯定派にはマイクロソフトのビル・ゲイツ会長、BP(ブリティッシュ・ペトロリアム)のジョン・ブラウン会長である。例えば、ジョン・ブラウン会長は「ビジネスは崇高な目的を持つべきか、それはyesである」と述べている。
 CSRの典型例として挙げられるのが、ナイキの事例である。米国のスポーツ用品会社ナイキは、1990年代半ば開発途上国のある契約工場の労働環境について、NGOから低賃金や言葉の暴力等に対する厳しい批判を浴びた。また、生産縮小に伴う工場撤退に際して、インドネシアの契約工場ドーソン・インドネシアの契約打ち切りを決定したが、この決定に対して現地従業員や地域住民が強烈に抗議し、NGOによる抗議運動へと発展して訴訟にまで至った。
 現在ナイキは積極的なCSR改革に取り組んでいる。2005年5月ナイキが発表したCSR改革は多くの人権団体、労働組合から高い評価を受けている。報告書ではナイキ・ブランドの製品を作る700以上の下請工場の名前を公表した。この公表はナイキの活動について隠し事をする幅を大きく減らすことになる。ナイキの一連のCSR改革はCSRを取り組む企業へのモデルケースを提供している 。
 しかし、企業にCSRが本当に必要なのか?とうという疑念は消えていない。世界最大の多国籍企業であるウォルマートは上の企業とは異なり、CSRのために儲かりそうにないことにお金を使うことを一切行っていない。従業員、顧客が大事であることを認めつつも、どれだけ批判されても労働組合を組織を認めることは無い。ウォルマートの顧客もこうしたウォルマートの行動を気にしているということは無い。人々がウォルマートで買い物をしなくなったわけではない。
 つまり、CSRの重要性は認められつつも、CSRで生じるコストは誰がどのような責任で負担するのかという問いへの答えは、十分に答えられていない。多くの企業のCSR報告書はこの点について沈黙したままである。この問題に対する答えはあるのだろうか?
 これについて理想的な答えは。「利益の追求と貢献の融合」となるだろう。だが現実にこのような方法はあるのか、現在多くの企業がこれを模索している。
 トヨタのハイブリッド車「プリウス」の米国での成功は重要な示唆を示していると考えられる。石油の高騰、枯渇への懸念とあいまって、プリウスの市場へのヒットは他の米国企業にハイブリッド車の投入を決定させた。ナイキのたどりついた結論は、「CSRのために余分なお金を払う消費者をターゲットにすること」である。CSRのモデル企業へと変身を果たしたナイキはかつてよりもブランド価値を向上させたといえる。フォード社は省エネによるコスト削減を行うことで収益率を上げようとしている。
 最も新しい取り組みとしては、CSRそのものを商売にしてしまうことである。家庭用品大手ユニリーバは、小分けにした安い石鹸とシャンプーを作ってインドなどで新たに巨大市場を開拓している 。
 「利益の追求と貢献の融合」これができる企業であるなら誰にとても最高であろう。現在ではCSRを単なる慈善と思っている企業だけではなく、CSRを重要な経営戦略とみなし始めた企業も出始めている。

最後に、わが国企業におけるCSR取り組みを見ておきたい。わが国では省エネ技術等の開発が進んであり、トヨタのように環境保護の取り組みと利益の拡大を果たしている企業が多く存在している。しかし、わが国企業は環境分野におけるCSRで世界的に高い評価を受けているものの、人権・労働・情報公開などの分野で低い評価を受けており、今後の課題となる。例えば「Newsweek 日本語版」Vol.20-23(2005.6.15)では環境部門におけるCSRでは主要先進国を引き離しつつも、企業統治・従業員・社会などの評価では低い評価を受けており、企業統治では最下位の評価を受けている。三菱重工のリコール隠しのように不透明な隠蔽体質は日本企業にいまだ存在し続けている。

CSRを日本企業がどこまで考えるようになるのか、このことも今後日本企業が世界を相手にどのような発展を遂げるのか、ということに関連を持っているのかもしれない。


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キッシンジャー、2006年大予測(後編) [国際法・国際関係]

先日のキッシンジャー、2006年の大予測(前編)につづいて、後編です。

 

4.イラク

イラクがベトナムになるのでは、という意見が出ているが妥当ではない。特に、戦争放棄をすべきであるという主張であるなら、これに同意しない。テロリストの活動が成功したと思わせてはならない。イラクの統治は困難が続いている。しかし、これまで行われた3つの選挙は成功したし、選挙を行うたびにイラク国民の参加者が増え続けている。テロリストはイラクで犯罪行為を行っているが、イラクの一地域を支配できたという事実は無い。大事なのは如何なる政府を作るかということである。安定的な統治を行うための仕組みを作ることである。

いつ撤退するかという議論を議論するべきではない。今、米軍が撤退したら、確実に内戦になる。内戦の影響はサウジアラビアなどのイラク周辺に対しても及ぶことになる。

テロリストに西側はすぐ引っ込むと思われてはならない。今撤退を行ってはならない。

これからの中東はどうなるのか。中国が中東に進出ことは無い、というように考える。中国は地理的に離れている。

2つの可能性がある。第1は状況の改善である。これは米国の勝利を意味する。第2の可能性は状況の悪化、乃至、状況の変化が無いことである。現在米国は、現地イラク人に対して警察行動の訓練を行っている。今はまだだが、今年の中頃には結果が現れるのではないだろうか。

中東の石油は米国、そして日本などの石油消費国にとってこれからも重大な問題になり続ける。米国はイラクの安定化のために努力をしているが、同時に石油消費国は石油需要の調整のために話し合う必要があるだろう。

 

5.北朝鮮

米国は北朝鮮に対して攻撃準備は出来ている。イラクに集中しすぎて北朝鮮に対する関心が低いのではないか?ということが言われるが、そうではない。米国の選択には軍事行動も入っている。ただ、現在は6カ国協議という方法によって問題の解決を進めている。

米国、ブッシュ政権は核兵器に対して厳しい態度で臨んでいる。中国は断固とした態度をとっているが、まだ真剣さが足りない。

北朝鮮は話し合いでおとなしくすることが可能である。

中国も北が核兵器を持つことを望んでいない。もし北が核を持てば、韓国も持ちかねないし、日本にまで核武装論が広がるかもしれない。中国はそれを恐れている。しかし、北朝鮮を残したいと考えている。米国は金正日の存続させる気は無い。ここに問題が生じる。北朝鮮は我々をだまし続けているし、何度も約束を破っている。しかし、北朝鮮は徐々に追い詰められているし、原則論については受け入れるようになってきている。といっても、北朝鮮にとって核兵器は自国の安全を保障する最大のカードである。そして我々は核兵器に見合うほどのものを北に与える用意はない。

北朝鮮は中国の傀儡ではない。ときには核兵器政策については中国の意思と反している。北朝鮮問題は今のところじっくりだが進展を見せている。

 

キッシンジャーの2006年予測

1.元は切り上げられる。切り上げられなかったら驚きである。

2.米国ドルは強さを持ち続ける

3.米国経済も堅調である。

4.中国経済は今年も成長を続け、9%くらいは成長するのではないか。

5.日本経済については楽観視してよく、成長する。

6.金正日政権は存続をすると思うが、国内騒擾が起こる可能性は否定できないし、彼への圧力は強まる

7.イラク戦争の成果が現れ始め、ブッシュ政権の人気は恐らく拡大する。

8.イラクでは政府・憲法が成立することによって、目覚しい進展が見られる

9.米中関係は通貨などで不安定になるが、良い方向へ行くと思われる。双方に米中問題を解決しようとする勢力が存在している。

10.日中・日韓関係は改善されることを期待している。

 


以上、キッシンジャーの2006年の大予測でした。

最後の方はちょっとはっきりしないところがありますが、おゆるしを。

皆さんの予測はどうでしょうか?

 

そして、来年はキッシンジャーは生きていて、予測できるのでしょうか?


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キッシンジャー、2006年大予測(前編) [国際法・国際関係]

1月8日になんとなくTVをつけたら、TV東京にキッシンジャー博士が出ていて、今年の予測なんてものをしてました。

キッシンジャーといえば、ニクソン大統領時代の国務長官にて国際政治の重鎮です。何故TV東京がこんな国際政治上の大物を?とか、色々疑問を抱かないではないですが、とりあえず見てみました。


はじめに簡単な概要。

2005年の米中関係を振り返ると特に具体的な紛争が生じることも無く、その意味で良好であった。2006年に話題に上がるのは、人民元切上げと軍事力拡大だろう。米中関係においては米国が強制を行うことは無い。ただ提案は行う。軍事的には中国とは台湾以外について問題はない。軍事力拡大はこれ程急ではないほうが良いと思うが米国の脅威というほどではない。

1.人民元について

人民元は政治的に安く抑えられており、このことが中国の好況の一因です。米国も中国の景気によって利益を受けています。しかし、中国の対米貿易黒字は1兆$に達するほどになっており、これから問題になるのは明らかです。ただ、切り上げについて、中国は外から言われるのを嫌います。過去の植民地の経験からです。しかし、人民元切り上げは確実であり、なかったらそれは驚きです。

A.安い元による中国の需要拡大が石油上昇を招いているのではないか?

それは人民元の問題だけが原因ではない。世界的に石油需要は高まっており、それに供給が追いついていないことが原因であると思います。私(キッシンジャー)は消費国、特に米国、日本、EU、中国など大消費国は石油の消費を管理するための協定を作るべきであると思います。

A.それでは中国の経済を抑えることになり、中国は参加しないのでは?

中国がこうした協定に参加するのは必要です。しかし、中国は国内事情のために経済拡大をとめることは出来ません。

A.元は基軸通貨となるか?

25年後ならともかく、今はまだ早いです。今は3つの通貨、ドル、ユーロ、円が重要です。ユーロがしばらく強かったですが、EU内の事情のためにユーロの信頼が低下しており、その影響でドルが資産のリスク回避ために重要性を増しています。中国はしばらく通過で米国と争うつもりはありません。台湾問題以外中国は米国の脅威でありません。

2.中国国内問題

中国は今だどの国も経験していないような驚くべき経済成長過程を経験しています。沿岸部は凄まじい発展をしていますが、内陸がまだ発展していません。歴史的に新しい階級が誕生すると彼らは政治活動を望むようになります。中国には金持ち階級が誕生しましたが、まだ彼らは政治的主張を行っていません。「金儲けは許すから政治には口を出すな」という政府の政策がうまくいってますが、こうした政策一時的なものに過ぎず、永久に続くものではないでしょう。現在の国内政治体制は色々いわれてますが、共産党の権力は今だ強固な支配力を有しています。軍部との関係も大きな部分においては問題ありません。

A.中国は分裂するか?

内陸西部でムスリムの活動が活発になっています。彼らは特殊な歴史観をこれまで無かったような激しい行動とともに主張します。しかし、中国政府もこれを理解しています。内陸部の問題もあります。また、オリンピックを成功させたいと考えています。しかし、分裂は、少なくともしばらくは無いと思います。民主化も近いうちには達成されないでしょう。

3.台湾

中国はミサイル、陸海空の軍隊の強化を続けています。これには2つの理由があります。第一に鄧小平が90s以降の改革開放で軍隊を軽視し、経済に集中したことがあります。経済的規模が拡大した現在、彼らはそれに見合った軍事力を持とうと考えています。第二に、中国は歴史的に戦いに負け続け、色々されたという経験があります。彼らは国際社会の協調体制に信頼を置くことができず、自分達で自らの安全を守りたいを考えているのです。中国から見れば周りには巨大な軍事を持つ国家に囲まれているという事実を忘れてはいけません。ロシア、インド、ベトナム、そして日本、これらの国と中国は戦争をしたという歴史があり、しかも多くの場合負けているのです。中国は日本やロシアを恐れています。

現在、中国は国際紛争を解決する手段として軍事力を使わない、という方針を採っています。軍事力が主要な問題となるのは10~15年後くらいではないだろうか。今は経済に集中しています。問題は中国の社会経済の亀裂であり、この問題は周辺国への影響を与えかねない重大なものです。

台湾問題については中国は独立宣言を行うようなことを行わない限り、軍事力を用いることはありません。逆に言えば、独立宣言を行うようなことがあれば軍事力の行使を行うと思われます。中国はオリンピックを成功させたいと考えていますが、だからといってオリンピックまでに台湾が独立を目指す行動をとっても許すつもりはありません。そしてオリンピック成功のためにオリンピックまでに独立を行えば大丈夫と思われるのを警戒しています。米国は台湾で問題が起こればいつでも行動する用意があります。しかし、米国は「一つの中国」政策を採用しており、問題が起こらない限り中国と戦うつもりはないのです。


というのが前半です。長いので続きは次回ということで。のこりは、イラク、北朝鮮、そして今年の10大予測です。


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中国のナショナリズム [国際法・国際関係]

歴史認識問題では主に国際政治的なことを書きましたが、今回は中国のナショナリズムの形成を見たいと思います。

写真:国際問題 2005年12月号 No.549

因みに元ネタは前回歴史認識問題の

ところで触れたように、

「国際問題」という雑誌を参照しながら書いています。

 

 

中華人民とは何か、その定義は困難です。まず、中国文明という文化的同質性を根拠とするものがあります。そしてまた、血縁集団に基づいた種族集団としての中華民族です。この発想は、漢民族による排外的な発想です。孫文がこの発想の主です。しかし、現実問題として中国には多くの民族がいます。そこで、中華民国が成立したときに<1912>、五族協和が主張されます。この五族協和のなかでは、あくまで漢民族が中心としながら、文化という後天的なものと、血統という先天的なものとを混在させることにより、排外的な色彩を糊塗することになります。

中華人民共和国ができると、毛沢東によって、こうしたナショナリズムに代わり、人民、即ち階級によるナショナリズムが主張されます。

毛沢東が逝去し、鄧小平が改革を唱えるようになると、毛沢東の人民概念は色あせて生きます。ここで、大衆が3つの周縁化を被ります。第一に、文化の担い手としての地位が知識層の復権かとともに失うことによる文化的周縁化。第二に、新自由主義ののもと拡大する貧富の差による、経済的周縁化。第三に、経済エリートが共産党に入党することが促されることにより生じた、政治的周縁化です。

この周縁化に伴い、毛沢東の人民概念が色あせ、大衆の中では、かつての漢民族中心の中華民国的ナショナリズムが復活しだします。自らの文化程度、経済程度の向上により、自らもその中心になるとこの出来なかった大衆、即ち周縁化された大衆は、アーネスト・ゲルナーの言葉を借りれば種族的同一性という「たった一つの哀れな卓越性に、激しい情悪の念をもって固執する」ことになります。

現在のコキントウ政権は、鄧小平・江沢民時代に周辺化された大多数の大衆をどうするか、ということを最大の問題としています。彼らが最大の脅威だからです。彼のスローガンである「調和する社会」などは、まさしく彼のそうした考えを反映したものとなっており、経済発展によって支払わなければならない対価として、大衆ナショナリズムにどうするかが問題となるのです。

天安門以降、中国とASEAN諸国の関係が修復されると、ASEANにいた華人が中国への投資を行う環境が出来てきます、それに伴い人の移動が活発になり、中国が海外渡航の要件を緩和したことにより、より活発になったといえます。彼らによって伝統文化の復興の動きが加速します。これが国内の大衆ナショナリズムと結びつくことで、種族主義的ナショナリズムが加速され、中華民族の公式ナショナリズムとしの「愛国主義」の立場を脅かすようになり、また、混同されるようになっていきます。

また、他にも仏教・道教・キリスト教・イスラム教などの宗教の動きが時を同じくして、国外から影響浸透を与えていきます。宗教は少数民族問題をも結びつきます。

愛国主義教育はこうした文脈の末に出てくるものです。

即ち、周縁化される大衆の精神的な中心回帰、種族主義的なナショナリズムへの毒抜き、少数民族ナショナリズムへの牽制、という意味があると考えられます。国家が大衆ナショナリズムと、それと相反する経済自主主義の両者の関係を折衷しようとしたものであります。

中国の『愛国主義教育実施要綱』は反日という文脈で捉えるべきではなく、かかる観点から捉えられるべきであります。『愛国主義教育実施要綱』は民族の精神を訴えるけれども、それが何なのかは定義してないし、定義できないのだと思われます。

1990年代後半にインターネットが普及しだします。インターネットは都市の大衆まで普及するようになります。かつて共産主義時代に成長した大衆は公共の場における理性的な討議の訓練を受けていません。インターネットは非理性的な言説の吹き溜まりとなります。外国の言語を知らない彼らは増々、内向きの排外的な議論に傾倒していきます。

コキントウは以前にも書きましたが中華民族の振興の前提として、経済発展を目標としています。そのためには国際環境の安定は欠かせません。だから彼は、日本との問題には紛争として激化させることを望んではいないのだと思われます。

にもかかわらず問題が複雑化しているのは、尖閣、東シナガス田、国連改革、台湾、靖国、教科書、など多くの問題が一気に出てきたという偶然の事実に加えて、日本の行動にも一因があります。日本国内でしか通用しない論理を用いて、正当化を試みること、などがその例です。また中国が反日教育を行い外交カードをナショナリズムの高揚により手にしようとしている、という偏狭、偏見も問題です。たしかに反日的内容はありますが『愛国主義教育実施要綱』にも反日という文言はありませんし、日本の人が思っているほど反日教育を行っているわけではありません。むしろ韓国よりも教育については穏健であるとさへ見ることができます。さきにも見たように、政府は偏狭なナショナリズムを抑えることに最大限の努力を図っているのです。彼は大衆の反乱をなによりも恐れています。

であるからして、逆に大衆のナショナリズムに譲歩した行動を行わざるを得ないところがあります。

 

小泉さんはこうした中国の意図をどれだけ考えているかは分かりませんが、中国政府のはしごをはずし続けていることになっていると思われます。最近は中国の関心はポスト小泉に行っているのかもしれません。


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歴史認識問題2 [国際法・国際関係]

前回の続きで、つらつらと。

最近ブームなのか知りませんが、東アジア共同体の動きが紙面をにぎわしています。これと歴史認識との関係が問題となります。

中国がここで歴史認識、靖国問題を外交カードとして援用しているのは明らかです。この問題で日本を孤立させようとする意図です。ただ、ここで注意しなければならないのはASEANにおいてこのカードがどれほど有効か、ということです。現実的には中国に倣って、歴史認識を問題しようとする国は今のところあまりありません。ただ、それが日本の意見に賛成してるということではなく、認識としては中国に近い、即ち、日本は歴史を反省しているわけではない、と思っていることも事実です。またASEANといっても一枚岩ではないし、また国内勢力においても違いがあります。特に華人勢力は中国に近いです。

つまりASEANはこの問題は日本と中国で何とかするできものとして突き放しています。ASEANが中国に傾斜しているという意見もありますが、これは正しい見方ではありません。ASEANは中国を警戒しています。また、中国もミスをしています。昔、中国は東アジアのフォーラムの議長を求めたことがあります。大国が議長を求めるのは国際政治では行ってもうまくいかないのは明らかで、中国も当然認めてもらえませんでした。経済的に中国の重きが増しているのは確かですが、政治的にはまだまだこんな状態です。中国が胡 錦濤ではなく会議に温家宝首相を出席させているのもASEANを怒らしているようです(中国の機構として当然なのらしいですが)。

ASEANはできれば日本に中国を押さえる役割を果たしてほしいと思っているのですが、靖国をはじめとする歴史認識で無駄に争っている日本に辟易しています。そもそも日本が米国に遠慮したりしてリーダーシップを発揮することを中々しないので日本を見限っている面もあります。現在ASEANはインド・オーストラリアを巻き込んで中国をけん制する動きも見せており、日本もそれを支持しているという最中です。

 

そんな感じの近隣諸国の状況ですが、それではこれまで問題を解決する機会はなかったのでしょうか。何回かはあったと考えられます。

先にも述べましたが、1998年に金大中が歴史問題を解決しようと積極的に動いたときがあります。外務省もこれにあわせて動いたのですが、自民党などの右派勢力がこれをつぶしています。

村山談話のときもひとつの機会でしたが。社会党を担いだ自民党という構造上無理があったのでしょう、やはり先述のとおり、むしろ禍根を残すことになります。

一番のチャンスは細川総理が自発的に行った謝罪のときだと思われます。中国・韓国に言われたわけでもなく、細川総理は歴史問題に決着をつけることを考え、中国・韓国に謝罪します。現在の風潮から一見考えにくいことですが、これによって細川総理の支持率は上昇します。両国からも歓迎されました。結局色々あって実を結びませんでしたが、日本がイニシアチブをとって問題を解決しようとした稀有な例であったといえます。

戦後日本のほとんどを率いてきたのは自民党ですが、自民党という政党は戦前の流れを汲む政党であり、戦後と戦前とを区別していない傾向があります。もともと保守政党であることもあり、右派が多く、民族主義的主張も多いです。また、支持母体である遺族会の影響も考えるべきでしょう。小泉さんが2001年の総裁選のとき突如靖国を公約にしだしたのは、遺族会(自民党員票の10%くらい)の支持を狙ったという側面があります。

自民党だと難しいのかもしれませんが、問題を解決しようと思うなら、中国や韓国から言われる前に日本から問題解決の提起を行うのが一番よいと思います。やはり交渉というのは自分からイニシアチブを取るほうがやりやすいですから。

そのためには靖国に行くのは駄目でしょう。日本では靖国は伝統であるとか、色々いう向きがありますし、国内では理解されないこともないですが、一国の総理がA級戦犯を合祀する神社に行ったとなれば、国際社会の日本以外の国家には理解されません。そんなことはない、と思っている人もいるかもしれませんが、ではその人たちは他国を偏見なく理解できていると自信を持っていえるのでしょうか。偏見と安易な理解は国際社会につきものです。先にも述べたようにASEANも現実に問題としないだけで、嫌がってることは確かです。

 日本人が近年保守的になった、という話がありますが、現実問題各種調査を見る限り、日本人はそんなに右派の主張に組してるわけではなりません議論を区別すべきですが、単に、中国・韓国がうるさいからそれに単純に反発してるだけだと思います。保守系論壇、右派からは、戦後の歩みによって日本人の美徳が失われた、アメリカに日本のアイデンティティが失われたと主張しているようですが、そしてそれが今ようやく日本人に自らの主張が受けられるようになってきたと思っているようですが、日本人はそのようなことにまで共感を覚えていないと思います。

右派は極東軍事裁判そのものを勝者の裁きであると反発しています(そして右派のこうした主張は一部のものであるにもかかわらず、国際的に(中国・韓国だけじゃないですよ)日本は近年戦後を肯定しだしたと思われだしているようです)。たしかにそのような側面はありますが、日本はサンフランシスコ平和条約においてそれを受け入れているのです。そして私は多くの日本人はこれを受け入れていると思います。

現在日本人には少し自身がなくなってきているように思います。このことが右派政治家の強い態度に、その主張に賛同しているかはともかくとして、胸をすく思いを抱く人が多い一因であると思います。しかし戦後日本を思うに、戦後の日本のアイデンティティ、そして誇りは戦後の奇跡の復興にこそ求められるべきだと思います。追い詰められたときの、逆境に陥ったときの日本人のそれを乗り越えてきたときの構想力、実行力、これこそ日本人が日本人の誇りであり、また、誇りにすべきものであるようにも思います。

官僚、企業、そして多くの日本人は、たしかに普段は対応が遅いのかもしれませんが、本当の問題になったときにはそれこそ一致団結して問題を解決してきました。

戦後まもなく、日本の官僚は、これから米国とソ連が対立することになる、そしてこうした国際環境の中で日本を防衛するには日米同盟しかない、アジアでも共産化の動きが出てくるだろう、しかし、日本は戦前を踏まえながらアジアとの協力を考え、共産化の流れに組しないようにしなければならない、という考え、現在からみてまったく正しい構想を、中国が共産党に支配される前に、持っていたのです。そして、吉田茂は実際にそうした発想の元、日本の安全保障を確保し、西側の保障する自由貿易圏の恩恵を享受することに成功するのです。

 石油危機においても日本は他の先進国に先駆けこれを乗り越えました、いまだイデオロギーが大きな争点となっていた当時において、資本家と労働組合はこの危機を乗り越えるために提携し、また政党間においても自民党だけでなく、社会党までも戦後日本の最大の危機に向かって協力し、そのための法律をあっという間に通していくのです。

繰り返しますが、歴史問題は日本がイニシアチブ解決すべきでしょう。論者においては、中国韓国の反日教育のせいであると考える人がいます。確かにその面はありますが、一方で、日本の行動に対して中国(主に都市の人たちだと思いますが)、韓国の人々はもともと不快感を持っているのです。それも政府は利用しているのであって、一から百まで政府のせいであるとするのは間違いです。

日本は謝っているじゃないか、という意見もありますが、政府がいくら謝っても半ば確信犯としか思えない、政治家の妄言が出てきたり、靖国に行ったりこんなことをしていて、それにどれほどの誠意を相手が汲み取ることができるというのか。日本人は一般に、特に政治家ですが、外から見られているという意識をあまりにも持っていないと思われます。

この点考えられなければならないのは日本人の戦争に対する認識で、日本では第二次世界対戦を対米戦争の文脈多く理解しており、アメリカとの戦争に負けた、沖縄戦、空襲、原爆を落とされたという記憶が主要な位置を占めており、中国との戦いとして意識することはあまりなく、つまり、被害者として自らを捉えている、だから中国・韓国に対する意識が低いのだと思います。

たとえばドイツ等に見られるように妄言の政治家を選挙で落とす、ということも考えられますが、現在の日本ではこれと逆の状態が発生してるようです。ただ、この問題はついて日本国民として我々一人一人がどのように考えるかは改めて問い直すのはよいかもしれません。日本は憲法において示されるように、価値相対主義を採用し、多様な意見の尊重が認められてきました。現在の小泉内閣は民主主義を価値として用いだしてきていますが、戦後ドイツが「戦う民主制」としてナチスのような存在から民主主義を守るというような発想が日本でも議論できるくらいには、日本において価値が共有され、民主主義は根付いたと考えています。

さて、昨今の事情を考えますに、韓国ではなんだかんだ言って日本への偏見は少なくなっていると見るべきです。旗とか燃やされますが、例えば、日本人へのいじめなどはなくなりつつあります。日本への憎しみもありますが、日本への憧れもあります。TVなどを通じて、彼らは日本の事情をよく知っています。報道もバランスが取れてきたということもいえます。(因みに靖国が韓国で問題となったのは最近でそれまでは主に教科書が問題になってきました。戦争では韓国人も日本人として一緒に戦って、靖国に祀られているので、複雑みたいです)

中国でも、変化はおきつつあります。最近になって日本製品に対する人々の見方が都市部だけでなく一般に変わりつつあります。日本への関心も高いです。某2ちゃんねるも中国語化されているくらいで、多くの人が見てるみたいです。まあ、あの掲示板の意見が日本人の平均的な考えだと思われると困りますが…。胡 錦濤、外交部は早く何とかしたいと持っています。日本も問題ですが、彼らにとって最大の問題は先にも書いたように、中国であり、軍部なのです。リスク要因、金食い虫でしかないかれらをどうにかしたいのです。過激な言論を気にしたり、軍の意向を尊重して、つまり内政の問題のために外交を理由するあたり、なんだか戦前の日本に似ているような気がします。ま、それはどうでもいいことですが。

このような場合、相手の弱みにつけんこんで挑発をするというのは避けるべきでしょう。そんなことをして何の意味があるというのか。今のような政権が中国にあるうちに、それぞれの国で政治問題化しないくらいに問題勢力が極小されるように、協力していくべきでしょう。大体、仮に中国が国内で混乱が生じて日本に有利になると考えるのは、現在の経済の結びつきを考えれば妥当ではないでしょう。また、そうした混乱か過激思想の対等を招くでしょうが(混乱して日本に好意的な意見が出てくると思います?)、それこそまさに日本の安全保障の問題になります。そのような問題をもてあそぶべきではありません。

できれば中国が独裁政権であるうちに片付けたほうがいいと思います。民主化したほうがいいと考えている人もいますが、自分たちの利益のためとはいえ、中国の氾濫する意見を抑えているのはまぎれもなく共産党です。仮に民主化が行われたらより中国人の生の声が出てくることはあるでしょうし、ますます反日ナショナリズムが高まると考えられます。元来ナショナリズムは民主国家において極限に達するものだと思われます。

戦争の記憶化、ナショナリズムの高揚は実は世界的に起きている現象です。インターネットの普及などがその原因のひとつなのでしょう。必要なのは物事なるべく偏見を排して、問題を考えるということでしょう。翻って考えれば現代の日本外交はその気になれば多くの可能性を持っています。日本が自分でものごとを停滞させているということは、自分の行動によって解決が可能だということです。また、上で述べたような状況は日本にとって有利な状況が多く存在しているように思います。

小泉総理の時のもう無理でしょうから、とにかく悪いものはいったん出してしまったほうがよいのかもしれませんね。


以上、思い起こした内容、および個人的な意見による補足でした。なんとなく理想主義的な考えかな、ときがしないでもないですが、どっかの状況認識が全くできていない、気分だけで書いたような意見に比べたら、ずっと説得的なように感じました。

もうすこし研究してもいいのかもしれない。そこで、

  『国際問題』2005年12月  No.549
小泉首相の靖国神社参拝は、近隣諸国の政府が反発するばかりでなく、民衆の反日運動も惹き起こし、今や「歴史認識」問題が、日本の国際関係において深刻な課題として浮上しております。特に外交上問題になる場合は、関係諸国の利害が複雑に絡まっていることが多く、なぜ「歴史認識」が外交上問題にされるのかを、各国の事情に即して理解する必要が生じてきます。 本特集では、「歴史認識」問題の多様性を踏まえて理解するために、この問題の総括的な対談と、反日感情の強い中国や韓国ばかりでなく、インドネシアやアも含む3ヵ国について、検討しました。 
2005年12月号 目次
焦点:「対日歴史認識の諸相」
・〈対談〉日本外交と「歴史認識」問題(岡本行夫・岡本アソシエイツ代表/五十嵐武士・東京大学教授)
・韓国における対日歴史認識問題(小針 進・静岡県立大学教授)
・「愛国主義」時代の日中関係」(田島英一・慶応大学助教授)
・インドネシアにおける対日歴史認識問題(倉沢愛子・慶応大学教授)

を手に入れたので、やる気があったら調べてみようと思う。まともな雑誌なんで忌みのわからない感情論はないと思う。


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歴史認識問題1 [国際法・国際関係]

歴史認識問題について考えてみました。

今大学院の同期の人たちと歴史問題について、研究しています。今日はF教授(うーん、ばればれな気が・・・)の話を聞く機会あったので、それを思い出しながら書きます。

かつて、歴史認識問題で今いきなり解決しなければならないことはない。ということはない、と書きましたが、そうはいっても問題といえば問題で、いろいろなところで障害がところどころ問題が生じているのは事実。ということで情勢分析をもう少し考えてみました。少し論調が変わってるかもしれませんが、あの時と少し成長したのだと思って、見過ごしてください。

どの国の歴史もそれぞれ独自の解釈に基づいているのだし、どの国も他国に対して偏見が存在しています。その他事情も相俟って、この違いが大きくなっているのが今日の歴史認識問題なのだと思います。

最初に、国際的に日本はどう見られているのか、ということを見てみたいと思います。特に欧米ですが、程度の差こそあれ、ドイツとの対比によって日本の態度が見られています。

1995年に戦後50年を迎えるドイツは、冷戦の終了、東西ドイツの統合からドイツへの脅威を持っている欧米諸国から偏見と不信の目を向けられることになります。そこでドイツはそうした不信感を払拭するために公的にもナチスドイツに対する批判と戦後ドイツの国際平和に対する姿勢を強調することになります。

ちょうど同時期、日本も戦後50年くらいで村山首相が自らの意思で反省とお詫びのための談話が発することになりますが(村山談話)、社会党の村山政権を支え、事実上支配していた自民党が自らの立場と異なることを強調するために所謂「妄言」の類の発言を繰り返します。村山談話自体は一応の評価はなされますが、却って自民党の行動が際立ってしまい、むしろマイナスの評価が強まっていきます。こうして次第に、「反省しているドイツ、反省していない日本」というイメージがこの頃定着しだします。

無論、戦後の国際政治の中で、ドイツと日本では置かれた状況は異なります。また、ドイツではナチスがあまりに残虐なことを繰り返していたために、戦後ドイツ人はナチスを完全に他者として区別することができたからこそ、ナチスに対する批判が可能でありましたことも日本と違うと思います。しかし、実際問題として日本の偏見も相まって「反省しない日本」というイメージができたのも事実です。日本企業がドイツ企業と異なり賠償に応じていないのも一因であると考えられます。

こうした動きと連動しているかはともかく、中国でも歴史認識の問題について日本を批判する出版物が出るようになります。

そこで中国を見ることにします。ちなみに中国では日本とアジアの見方が違うようです。やはり中華ということか、自分たちとの友好を結ぶことがアジアとの友好であると考えている節があります。そして、中国だけではありませんが、現在の日本を脱アジア化している西欧の国だと見る向きがあります(これは日本がアジア重視といいながら、現実において日米同盟第一としていることがそのように受け取られる原因を作っているのだと思います。現に今でも多くの人が欧米に親近感を感じている人が多いのではないかと思います)。

重要な出来事として冷戦終了があります。中国の存在意義が日米にとって失われます。同時に中国も米国にたいして封じ込めの脅威を感じます。同時に、人民解放軍の問題があります。そしてベトナムにも負けることからも明らかなように、数が多いだけであまり役に立ちません。しかし、数が多い分だけお金がかかります。冷戦終了頃になると減らされないように、国防の必要性を訴え、人民の忠誠心を高める必要が出てきました。これが愛国教育に結びつくのですが、以上のようにこれらは内向きの要請に基づくものです。しかし、そのとき目に見える形で敵として用いられたのが日本でした。そしてこのとき用いられた反日が日本の政治家の失言、靖国、教科書、さらには上で書いたような動きと組み合わさり強くなっていきます。

しかし、中国にもこうした勢力だけではありません。鄧小平の改革開放政策以降台頭した経済官僚たちは、現在の胡 錦濤政権にもあるように平和台頭、経済の発展を志向しています。彼らにとって、人民解放軍は金食い虫だし、無用な軍事リスクを生み出す厄介な存在です。しかし、「中国の最大の敵は中国」といわれるように、軍の暴走を恐れています。軍は巡航ミサイルとか原子力潜水艦の開発など無駄に金がかかり、成功が難しそうな問題を要求しています。

官僚たちは軍を少しづつ抑えていきたいと考えているようなのですが、靖国はこうした軍を勢いづかせ、軍の存在意義を与えてしまっている状態にあります。去年、中国は日本に首相は靖国に行かないように述べ、日本では内政干渉であるという反発を招くことになりますが、中国にとっては国内事情を踏まえた上で、この辺で線を引こうとするというための、メッセージだったのです。

一方韓国、韓国も同じように反日イメージは作られていきますが、中国と様相が違います、彼らの関心は最初教科書と政治家の妄言でした。意外なことに、最近のノムヒョンになるまで韓国は中国と歩調を合わせて日本を批判をすることはありませんでした。かつて、江沢民が金大中にたいして反日キャンペーンを一緒にやらないかということを提案しました。しかし、金大中はこれを断ります。金大中のときに日本から謝罪が行われ、「これで歴史問題を問題化しない」といった趣旨の発言を行います。彼はそろそろ問題を終了させる時期だと思っていたようです。しかし、この発言について、韓国としては首相は靖国に行かない、教科書は検定制度の中で適切な態度をとるということが前提として考えていたのに、日本の側はこれで韓国は大人になった、もう靖国についても文句を言ってこない、だから靖国に言っても大丈夫、と考えたようです。そんなわけないのに。

この韓国の反日は、隣国で経済的に大国である日本に対して強い憧れと、脅威の認識、そして反発といった複雑な感情が混じっているのだと思います。

 

とこんな感じなのですが、最近別個の問題として、民衆の問題が出てきました。これまではなんだかんだいってもテクノクラート同士問題で話し合われていたのですが、インターネットの普及は民衆(特に中国ですが)が問題に直接にかかわるようになる契機を与えています。彼らは生の、感情むき出しの発言を氾濫させ問題を感情の向くままに日本を批判します。もともと権威主義的な政権の下、フラストレーションの強い彼らは互いに呼びかけ行ったのが、4月頃のデモです。中国は民主主義国ではありませんが、彼らは何時民衆の声が自分たちに向くかを非常に恐れており、そのため民衆の声を大変気にします。

といっても、その数はそんなに多いわけではなく、一部の知識層の問題を全体であるかのように捉えることは妥当ではありません。過小評価も、課題評価もせずに見ていくべきでしょう。

 

と、長いな。ASEANとか日本とか、これからの展望は次回、ということで。


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