単に述べることと伝えること、そして説得するということ [日々是]
年末には大学時代に僕も参加した国際法の弁論大会があったので、ちょっと覗きに行きました。
(参考:<http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/3240/index.html>国際大会は権威のある大会みたいですよ)
今回の大会のテーマは国家承継と国連加盟国の地位、民間軍事会社の行為に関する国家の責任、多国籍企業の人権侵害に対する国際法上の規制、などなど、近年に興味深いテーマばかりです。
予選も終わり、準決勝も終わり、最後に決勝に残ったのは大学の後輩達、と今いる大学にいる(僕は大学院ですが)の国際法ディベートサークルの人たち。たまにキャンパスで見るのですが、彼らが決勝まで行くと思ってませんでした。
今年の決勝裁判官(審査員)はかなりの人が集まったみたいで、元最高裁判所判事、現役の外務省国際法局局長とがやっておられました。
結果はとしては大学の後輩は勝てなかったみたいです。また来年に期待します。
それはともかくとして、卒業して一年ぶりにこの大会を見て、日本人は弁論とかディベートの技術、というよりも意識が無いな、ということを改めて感じました。
調べたものを発表する、ということと、人前で伝える、弁論する、プレゼンテーションするということは、似て非なることです。前者の意識には自分をやったことをだす、自分を見せたいという意識はあっても、他者に伝える、他者とコミュニケーションするという意識はありません。
「分かりやすく」伝えるということが、指摘されることがありますが、それだけでは何を言っているのか分かりません。「分かりやすく」、というのが誰にとって分かりやすいのかということを、自分の中に客観的な他者というものをもって意識しない限り、「分かりやすい」ということも結局自己満足、独善に過ぎないのです。
自分自身気をつけなければなりませんが、その意識が結構忘れ去られるようです。
加えて、プレゼンテーション上級といえるものが、人を説得する、感動させる、人を動かす、ということだと思います。相手の意見(ある場合)がいかに良くないかということを述べたり、先の論理的な点から別に如何に感情に訴えるか、自信を持っているように喋る等、自らが伝えたい内容を相手に受け入れさせるための技術です。
こういう相手がいる大会では最後の部分も重要になります。(前述『戦争広告代理店』でも強調されている部分はここだと思われます)
話を戻して決勝の感想を述べると、まさに上で述べるような部分が出てきたように思います。客観的に述べまして、下準備をしたのは母校K大学の後輩だったはずです(別に贔屓目ということではなくてどちらがどれくらいやっているかは実際に知っているから述べています)。
論点に関する論文のリサーチ力では圧倒的に差があったと思います。では何故彼らが負けてしまったのか。理由は明らかで、単なる発表をすることしかなかったのか、それ以上の部分がある程度は存在していたか、ということの部分であったと思います。僕はどちらがどれだけ下準備をしていたか、ということが分かりますが、一方審査員の人にはわかりません。へたくそなプレゼンテーションしかしなかったら、どれだけそれまで努力をしてきても、それが相手には分かりません。
もしこれで後輩が不条理を語るのであったら、僕はそれは不条理ではないというでしょう。努力するものが報われるわけではない、ということではなく、単に聞いていもらっているという意識が無く、相手に理解してもらうための努力が足りなかったと言うことだと思うのです。
技術論云々というよりも上で述べたような意識を持ってほしいです。意識をもつというのは、プレゼンテーションは大事だね、とありがたがることではなく、具体的な場面で、じゃあどうするのか、ということを考えることです。「必要は発明の母」という言葉がありますが、例えば、あることを説明したいときに、果たしてこれ述べて分かってくれるかということを一つ一つの表現につき、意識することです。無論このとき聞いてもらう人が自分ではなく、どんな人なのか、どういうことを前提としている人なのか、ということを考えるのは当然です。
と、まあ長々と論じましたが、こういう部分が日本全体に足りないのではないかなぁ、と思います。大学でゼミとかで発表を聞いていたりする場合にも同じことを考えます。
経済界で世界と伍していかなくてはならない人たちはこういうことを考えるようになっていると思いますが、そのほかの部分では怪しいところです。こんなんだから国際会議の場で喋らなくて、silent gentlmanとか言われて、からかわれているのに、むしろ微妙にgentlmanがついてることに満足していたりするのだと思います。
日本人が遠慮深い、という面もあると思いますが、単にプレゼンテーションが苦手なだけなんじゃないかと思います。
と、読みかえしてみると、そんなこといってる文章自体が結構いい加減な構成ですね。修行が足りないな。
いやはやとてもためになりましたよ。
いま私もよく中国の日中関係のレスでコメントするんですけど、これがまったく聞き入れてもらえない。
日本人に話してる感覚じゃあの人たちは説得できませんね。
でも必ずまだ日本人が発見してない彼等の根っこみたいな部分があると思うんでそこを見つけれたらいいなと思ってます
by ずみっち (2006-01-16 17:53)
度々のコメント、ありがとうございます。
以前、中国ナショナリズム、歴史認識問題でも書きましたが、彼らには小泉さんをはじめ多くの日本人の言っていること等が(無論政治的な部分、単なる反発、憂さ晴らしなど様々混じっていると思いますが・・・)色々な部分で理解できない主張があるのだと思います。
同時に日本人が当然視している日本人の思想も我々は理解しないといけないのだと思います。日本の常識は世界の非常識といおうことではないですが、特に習俗については日本人はかなり独特なところがあるみたいですから。
by mof (2006-01-17 01:32)