SSブログ
書籍:『』「」付記 ブログトップ
前の10件 | 次の10件

『三本の矢』〈上〉〈下〉 [書籍:『』「」付記]

三本の矢〈上〉

三本の矢〈上〉

  • 作者: 榊 東行
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1998/04
  • メディア: 単行本

三本の矢〈下〉

三本の矢〈下〉

  • 作者: 榊 東行
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1998/04
  • メディア: 単行本

昔買った本を再び読み返して見ました。日本経済がとても悪いときに書かれた本です。この本を読むきっかけは、大学に入学したとき、学部の入学式のときに城山三郎『官僚たちの夏』(そのうち書評を書きたいです)とともに薦められたことだったと思います。そのときはふーん程度で聞き逃してたのですが、3年生くらいにふと買って初めて読みました。

物語の主人公の紀村隆之は大蔵省(現財務省)銀行局の課長補佐、ということで、主人公が官僚というなかなか異色の作品です。作者もたしか官僚だと聞いたことがあります。

時は1990年代後半、大蔵省では大蔵省本流、東大法学部がその多く占める主計局を中心とする二階組と、経済学部出身者が多く、アメリカで学んだ経済学理論を政策決定過程に組み入れようとする銀行局中心の四階組が激しい主導権争いを行っていた頃です(ちなみに現在銀行局は金融庁として財務省と切り離されています。)

物語の発端は蔵相瑞田が動銀の経営危機を肯定してしまうという失言を行ったことに始まります。これにより金融市場、国民、そして日本中が大混乱に。しかし、これは単なる失言ではなく、大臣の答弁書が第三者により巧妙に刷りかえられたことによる、仕組まれたものであった。

大臣の失言からどんどん物事が進行するなかで、主人公の紀村(派閥争いを避けている中間派的存在)は一人、大蔵省の内部の人間が関わっているであろう、大臣答弁差換え犯を探すという、「特命」を与えられることになります。そして犯人を捜査するうちに、事件の全容、様々なアクターの動きを捉えていくことになります。

以上が話の概要です。犯人を捜す上での紀村のテーマは「動機」と「物証」です。

特に「動機」との関連では、犯人の意図が問題となりますが、答弁差換えによる犯人の意図をつかむ為に、紀村が犯人を捜すという過程の中で、政治学、経済学、社会学などの基礎的な知識、そしてこれら諸学問の交錯する部分における問題についてふんだんに散りばめられています。

これらの諸学問を用いて現状の把握、そして来たるべき結果について予想しながら紀村は犯人に近づいていきます。

本書は同時に小説の事実を用いながら現在の日本の抱える問題を指摘しています。

天下国家を考えることなく、省、局、課、そして自己利益を図ろうとする官僚達。経済の理論も考えることなく、現状の維持を図ろうとしかしない、東大法学部出身の大蔵官僚。

こうした官僚の実像について筆者は批判的観点ではありますが、かなりリアルに描いているのではないかと思います。また、大臣の答弁作成過程など官僚が実際に行っている業務についてもリアルに書かれているのも本書の作者が官僚であることから来るものでしょう。

しかし同時に官僚の可能性、そして啓発をも本書は意図しているように思いました。本書最後の部分になりますが、

「・・・官僚は信念・理念を持って理想論について考えることのできる、数少ない恵まれた職業です。学者と違って実行力もある。しかし、最近は、そういう恵まれた立場にいることを忘れて、私利私欲の追求に走るおろかな官僚が増えています・・・」

という件があるわけですが、これは筆者の現在の官僚への問題意識とともに、官僚に対する期待を表しているのではないかと思います。

また、官僚だけではなく、次の選挙が最大の関心事項である政治家、および利益団体についても的確な描写があるように思いました。

 

本書は単なる官僚の実態や、政治学・経済学の紹介本に留まるものではないと思います。ミステリー、推理モノとしてもかなり読み応えがあるように思います。現実が緊迫する中で、紀村は情報収集し、物証・動機が不明確なまま、犯人の推理を試みます。そのような緊迫した状況の中行われる推理モノとしてもその辺のよく分からない「ミステリー」を謳うものよりも出来がいいもののように思いました。

実際、二転三転し、読み手を引き込みはらはらさせる展開を読ませ、かつ2冊の文章量でありながら冗長に感じさせない(むしろ僕の場合かなり引き込まれて土日の休み中ずっと読んでしまいました)実力は相当のように思いまます。(物語についてはこれ以上踏み込むと読む人の興がそがれてしまうのでここで留めておきます。)

あと、作中に出てくる人物も個性的でそれぞれ魅力的です。尊大な感じで国民を馬鹿にした感じを隠さない紀村、その下でこき使われている新人官僚の安田、理想化肌でアメリカで経済学を学んだ脇井、脇井のかつての恋人で国会議員の政策秘書をしている聡美、未来研究所で働く諸学問を収め、紀村をして変人と言わしめる、紀村の相談者となる佐室。どの人物も結構引き立てられており、小説としても申し分ありません。

 

官僚論についてと合わせて、あるいはそれ以上に本書の最大のテーマとなっているのは政・官・財が複雑に密着し、日本が良いときだけではなく、悪いときでさえもその変革を阻む、日本の政治システムです。この政官財の相互利益システムのことを『鉄の三角形』というのですが、毛利元就の「三本の矢」のようにこのシステムはそれぞれが相互補完し、なかなか折れない強固なものとなっています。

この「三本の矢」は、官僚・政治家そして様々な人々の理想を阻み、失望させて行きます。そして彼らの利益のために国民の利益が阻害されていくことになる、本書にはこのシステムについての問題意識が随所に表れてきます

「敗けたな」・・・

「・・・でも」・・・「私達はいったい、誰に負けたのかしら。・・・さんも・・・さんも・・・誰もこの戦いに勝ってなんかいやしない」

「―日本だよ」・・・「日本というシステム敗けたんだ」

「日本…」

「そうだ。日本、あるいは三本の矢だ。」

 

物語終盤のこのシーンは、これまでの展開と合わせて感慨無く読むことは出来ませんでした。

 

ついでに述べるのであれば、このシステムそのものだけではなく、このシステムによって不利益をこうむるはずの国民についても、民主主義制度の中、何故「三本の矢」が打ち崩せないのか、ということを説明する中で問題を提起しています。少数の利益団体が多数派であるはずの国民よりも何故優遇されるのか?「争点の束」「合理的無知」など政治学の必須知識が色々出てきて具体的に例示されているように思います。

ただ、この点については筆者はあまり国民には期待していないような感じを受けました。はっきりとは読み取れないですがエリート、とくに官僚への期待を感じさせる結末であったように思います。その正否の判断は読み手それぞれでしょうが。

このように独善性のある部分も否定しきれませんが、読み手を引きこむ力のある小説だと思います。

 

『外交官の仕事』に引き続きの官僚(?)本ですが、官僚を批判するにしろ、官僚になりたいにせよ、官僚の実態とともに、問題意識を養うという意味で、やはりお勧めの一冊です。


『日はまた昇る』 [書籍:『』「」付記]

日はまた昇る――日本のこれからの15年

日はまた昇る――日本のこれからの15年

  • 作者: ビル・エモット
  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2006/01/31
  • メディア: 単行本

 

『日はまた沈む』という本をご存知でしょうか?1989-1990くらいに出された本で、1993年の日本のバブル崩壊を予想し、ベストセラーになった本です。

その著者であるビル・エモット氏が約15年のときを経て世に出した本、それが『日はまた昇る』です。 


この本はタイトルからも分かるように日本経済復活を宣言し、長い15年間を経た後の今後15年の日本経済は、無論留保をつけながらですが、明るいものであるということを予想しています。

著者、そして訳者も書くように日本経済の低迷は実に長いものでした。長い思い切った改革はなされることも無く時間が過ぎ去っているように見えました。このまま、日本は東のほうの小さい国にまで衰亡してしまうのではないか、という悲観論も多く流れたよう思います。

しかし、とこの本は述べます。気がつけば今の日本の制度は10年前と比べれば驚くほど変化しているのです。昨日今日と比べればあまり変化していないように見える日本しかし、もっと長いスパンで見ると日本は確実に変化しているのです。

日本の官僚、政治家は少しづつでありますが、改革と呼べるものではありませんが、しかし着実にやるべきことをやってきたのです。

「徐々に」

ビル・エモット氏はこれが日本を語る上でのキーワードであるということを指摘しています。日本で改革が行われたことは明治維新とGHQの戦後の改革しかありません。しかし、議論がなされ、長い時間はかかりますが、一度方針が決まれば、着実にその方針に従って行動を行う。それが日本だというのです。

時間がかかりました。バブル崩壊後日本の政府は最初、過ちを認めない、危機は存在しないという態度を採りました。日本が日本の現状を認めたとき、日本は徐々に変化をしていくようになったのです。

 

日本経済は復活しました。OECDが日本の成長率を低く見積もっているが、これは過去の日本の経済の低迷に引きずられている。政府が変化求め続ける限り、日本の経済は順調に成長する。サミットに出るたびに、説教を食らうということにはならないだろう。

2005年9月の選挙は日本の変化が継続されること裏打ちするものとなった。小泉首相がたとえ今年の9月に引退しても、日本がかつての姿に戻ることは最早無い。

無論、懸念はある。長い不況の中、労働流動性が高まっていく中、若者が労働市場に入ることが出来ず、技術の伝承が十分に行われていないかもしれない。しかしまだ十分に取戻せる範囲内だ。

人口の減少は極めて重要な問題である。しかし、日本はかつてから高かった設備投資の成果により、生産性を高めるだろう。隣国中国よりも大きい経済規模を保つことは無理かもしれないが、没落することはないだろうし、一人当たりの所得はもっと高くなるだろう。

中国との関係は重要である。中国が拡大するにつれて、日本経済は劣勢にならないか、という懸念はすくなくとも今後数十年においては妥当ではない。中国が得意とするのは、国内の豊富な労働力に支えられた、ローテク・ミドテクの製品であり、日本が得意とするのはハイテクの製品である。中国製品と競合するのは全体の20%程度に過ぎない。

また、自動車、ナノテクノロジー、ロボット産業、環境関連技術等は今も、そして今後暫くは日本は世界の最先端を走り続けるだろう。

 

日は一度沈んだ。しかし、長い夜を経て再び日はまた昇る。


と、こんな感じのことが書いてます(ちょっと微妙に本文に書いてないことまで書いてしまってる気がしないのでもないですが)。

日本の事情をかなり理解して書いているなあ、というのがよく分かり、また実際に大変分かりやすい文章で良かったです。

その辺の日本人(僕含め)よりも日本の経済の実態を理解しているように思います。むかしから日本人は外国からの評価に弱いもので、僕もその一人なので恐縮なのですが、こういうふうに外国の人に太鼓判を押してもらうとうれしいです。

特に日本は「徐々に」変化する国である、というのは日本に対して相当の知識がないと指摘できないですね。

あとこの本の指摘の中で大事だと思ったのは、私達はすぐ最近と比べてあまり変わっていないことを嘆きますが、同時にもっと長いスパンで見るできである、ということです。

なるほど向かいと比べる日本もずいぶん変わったように思います。90年代の気分だとホリエモンとか出てこれなかったでしょうからね。

 

ところで、この本には対中関係、靖国問題についても言及がなされています。靖国の箇所について言えば、日本人から見れば少し奇異に見えると思いました。

しかし、余計な靖国に知識とか日本人の宗教観についてあまり理解していない分、主観を排した論理でものを語っていたように思い、新鮮でした。あと、大事なのは英語圏とかの人は靖国をこんなふうに見てるんだと、というのが分かって参考になるのではないかと思います。

あと、東アジアについて、このまま、特に共産党政権のままで、中国が東アジアの覇権をとることは無いように思える、ということについても指摘してました。こちらは幾分論理と実証が弱かったですが、やはり日本も日がアジアの主導国の一つとなるであろうことを予想しています。

 

なんかどこかの省庁の説明会に行ったらやたらこの本についての言及がありました。省内ではやってるのかな。

そんな感じの本です。


『外交官の仕事』 [書籍:『』「」付記]

外交官の仕事

外交官の仕事

  • 作者: 河東 哲夫
  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2005/10
  • メディア: 単行本

日ごろ国際関係には興味を持っているつもりですが、実際に外交官がどのようなことを考えて行動しているのかはよくわかっていないような気がする。

そこで実際の外交官であった人の本を呼んでみることにしました。

2005年10月と最近書かれた本ということで選らんのがこの本です。

内容は大きく分けて10章に分かれて書かれています。

1.大使館の仕事

2.外交官の作られ方

3.本章で働く外交官

4.情報収集

5.ODA

6.文化

7.人事

8.政策決定過程

9.広報

10.日本の戦略論

とまぁ、こんな感じです。

 

結構ためになりました。普段テレビで見ているだけだったり、また国際関係を勉強をしていても、忘却しがちなのが「実際に実現できるの?」「どうやって行うの」という視点。本書はそうした視点を読み手に与える契機になるのではないかと思います。

国際関係を勉強している人には「具体案」なるものを出す人がいます。かく言う僕もそんな一人でしょう。しかし、それでもまだ抽象的なのだな、ということがよくわかります。

本書の作者は元外交官ということで、自らある政策を行ったときどのようなことを行ってきたのかがかかれています。

「・・・すべきである」というものはあるかもしれません。しかし、実際の手足となる外交官の一人ひとりがどのように動けばそれが達成できるのか。現実的に可能な政策を考えるとき、本書のような視点は必要なのだと思います。

本書で書かれている外交官像は「アヒルの水かき」をしている外交官、といったところでしょうか。例えば「情報収集」というの言葉はかっこいいですが、では実際に情報を収集するのは、かなり地道な作業であることがわかると思います。ひとつの情報を得るのだって、言うのは簡単ですが、具体的には大変なんだなということがわかります。

本書が国際政治の一般的な本のように、安全保障、経済、PKO・・・といった政策で章立てされておらず、外交官そのもの、そして彼が持っている手段に着目した分け方をしているのも、実務として外交を意識して書かれているからであると思います。

「人」としての外交官、世間では外交官に対して一方的に過ぎる批判が多いように思いますが(的を得ていないものが無い、というわけではないですが・・・)、もう少し落ち着いて物事を見てほしいように思います。

 

と、ここまで書いて批判めいたもの、というか若干の留意点を。

僕は結構理想主義的なところもあるせいか、現実から論ずる議論には納得しても、どこかで抵抗する部分があります。そういう議論をする人に対して心のどこかで、「単に現実に追随しているだけではないのか」と思ってします。単にひねくれているだけかもしれません。

おそらく本書はそうした現時追随本ではないと思います。現実はこうしうたものだ、ということを示して、その上で物事を考えるべきであるということを考えて行動するべきである、ということを主張していると思いますが、どこかでひねくれている自分がいます。

それでいいんだよ、と思っています。本を読むときにはこうした批判的視点は必要なのだと思いますが、どうなのかなー、と考える日々です。

 

外交官志望の人、国際関係を勉強している人、だけではなく、多くの人に読んでほしいように思う本です。具体的なエピソードを交えながら読みやすい書き方がされています。読みやすいのは筆者が昔小説を書いたことがあるからだと思います。


『殺人方程式』 [書籍:『』「」付記]

殺人方程式 〈切断された死体の問題〉

殺人方程式 〈切断された死体の問題〉

  • 作者: 綾辻 行人
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/02/10
  • メディア: 文庫

推理小説です。読みやすかったです。面白いと思います。ただ、アガサクリスティなどの本格推理で鍛えられている僕が見ると、なんかだめなところが目に付いてしまうんですねー。日本の推理作家を信用してないのかな?

トリックまで述べるわけにはいきませんが、話を要約すると、あやしい宗教の教祖が「おこもり」をしている最中に、何故か隣の市の息子が住んでいるマンションの屋上で東部と左腕が切り落とされた状態で発見されます。一見不可能犯罪に思えるこの犯罪がどのように行われのたのか?というかんじのお話です

中々こった作品だと思います。推理が出来るので、それすらできない粗悪品の推理小説なんかよりもいい出来だと思います。

ただ、ちょっと登場人物が生かしきれていないかな。タイトルにちなんだトリックが出てきてそれなりに納得できますが、懲り過ぎかな、という印象がします。それにタイトルにするならば、もう少し「方程式」を作品全体に絡ませるべきでしょう。

後半一気に解決しすぎてしまうのもどうなかなーと。

 

というわけで普段の書評よりも厳しい評価です。


『中国が「反日」を捨てる日』 [書籍:『』「」付記]

だいぶ久しぶりの書評です。

といってもまた中国ネタ


中国が「反日」を捨てる日

中国が「反日」を捨てる日

  • 作者: 清水 美和
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/01
  • メディア: 単行本

やや大げさな感じがしますがちゃんと調べて作った感じのする面白い本だと思います。

今では中国は反日一辺倒だと思われることが多いですが、中国もそんなところだけではない、ということが本書の趣旨です。

とりわけ現在のコキントウ政権は現実的な国益の観点から経済関係を重視し、日本に融和的な政策を採ろうとしていたことを論じています。歴史歴史をいってもしょうがないと考えていたということです。

しかし、軍、そして江沢民ら上海グループが日本に親和的な政策をとることについては反発します。これが小泉さんの靖国参拝で、活発化し、さらに国内ナショナリズムと相まって、靖国問題を取り上げざるを得なくなった、単純に述べれば、こういう流れで書かれています。

コキントウ=親日、江沢民=反日、というのは単純すぎるかな、というようには思いますが(コキントウが靖国を戦略的に用いていない、ということまで断定できませんし。少なく見積もっては、使わざるを得ないし、使えるうちは使っておこう、という感じではあるように思います)、大筋的には妥当なのかな、と思います。すくなくとも現在の中国は一枚岩と見るのは無理があるという意味で、この本が示唆することは重要に思います。

さて帯にセンセーショナルな煽りがありますが、もうひとつ面白い指摘があります。日中両国の反日派、反中派はお互いを批判し、相手がそれで強硬になることで、ますます国内のナショナリズムを高めて、自らの支持を高める結果になっている、ということです。お互い、自分の最大の敵が自らの支持の最大の源泉になってしまっている、ということです。

だから、お互いの友好勢力は協力しよう、ということになるかはさておくとしても、この指摘はなるほど、と思いました。

むなしいことです。不毛です。

 

「お互い」に不毛な原則論をやめればいいのに、特に中国では統治原理と絡む問題であることから、なかなかこの不毛な構造から抜け出せません。日本もここまで来てしまうと引き下がりにくいでしょう。まさに「袋小路」に陥った、ということこの本は指摘しています。

結論は見る人によって意見が異なるように思いますが、丹念に事実が追われているので、その辺の自分の思い込みから結論を作っている主張を見る前に見ておいたほうがよいように思います。

 

おまけ:

産経新聞に日中対立の経済効果が記されてあったので、ついでに載せておきます。

 

反中国感情広がり 関連本出版相次ぐ/旅行30%減

 首相の靖国神社参拝に対する執拗(しつよう)な抗議や昨年4月の反日暴動などを背景に、日本人の間に中国に対する反感が拡大している。内閣府が発表した世論調査では、中国に「親しみを感じない」とした人は63.4%と過去最高になった。中国の歴史や反日意識を検証する関連本の出版が相次ぎ、中国への旅行者は減少、対中ビジネスへの意欲も落ち込むなど、対中関係を企業や個人レベルで見直す流れが加速している。(木綿洋平)

≪専用コーナー≫

 「マオ・誰も知らなかった毛沢東」「マンガ中国入門・やっかいな隣人の研究」「胡錦濤の反日行動計画」「中国『反日』の虚妄」…。大阪市内の大手書店では、中国コーナーに平積みされた三十三冊のうち半分以上が、反日意識や共産党独裁体制を批判的に書いた、いわゆる“嫌中本”だ。中国経済の躍進をたたえるビジネス書などは劣勢を強いられている。

 これは昨年七月に発売されて大ヒットした「マンガ嫌韓流」以来の傾向だという。同書は日韓の歴史問題で韓国を論破する内容で「嫌韓」という言葉を定着させた。「嫌中」はいわば二匹目のドジョウだが、書店は「他国を大っぴらに批判する本はあまりなかった。『嫌韓流』以降、出版社も出しやすくなったのでは」と分析する。

 “暴君”毛沢東を描いた「マオ」は上下合わせ十三万部以上、「中国入門」は十八万部以上発行されている。

≪反日暴動余波≫

 旅行大手のJTBによると、この年末年始、関西国際空港発のアジア旅行客は前年比40%増と好調だったが、中国への旅行者は30%減った。アジアで人気なのは台湾やバンコク。ヨーロッパ旅行も15%増で、中国旅行客の減少が際立つ。「昨夏(七-九月)の前年比40%減に比べれば改善されたが、反日暴動の影響がまだ残っているとしか思えない」と同社。

 近畿日本ツーリストでも、年末年始の中国への旅行客は前年より30%減ったという。同社の渡航先では台湾が30%増。

≪ビジネス低迷≫

 経済発展を続ける一方、人民元切り上げや不安定な社会情勢など、さまざまなリスクが顕著になってきた中国。日本企業には“反日リスク”もある。ジェトロ(日本貿易振興機構)が中国進出企業を対象に行った調査でも、ビジネスマインドの冷え込みが浮き彫りに。

 一昨年十二月の調査で「既存ビジネスの拡充、新規ビジネスを検討している」と答えた企業は86・5%だったのに対し、反日暴動を経た昨年五月に集計した調査では、同じ回答は54・8%に減った。

 中国進出企業のコンサルタント、平沢健一さんは、中国に進出した企業の統計はあっても、撤退はほとんど公表されないのが現状だと指摘。「中国ビジネスの失敗例を、もっとオープンにすべきだ」と訴える。

 「合弁会社の契約上のトラブルが多い。共産党が動かす国のことを、日本企業はほとんど知らない。契約をしっかりしないと、なけなしの資金を失うことになる」

 そう警告する平沢さんだが、これ以上対中感情が悪化することは懸念している。「日本と中国は切っても切れない関係でビジネスパートナーになれる。壁は高いが今後は変わっていくと期待している」と話した。


『戦争広告代理店-情報操作とボスニア紛争』 [書籍:『』「」付記]

ドキュメント 戦争広告代理店

ドキュメント 戦争広告代理店

  • 作者: 高木 徹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/06/15
  • メディア: 文庫

ちょっと前にユーゴ紛争を調べていたときに俎上にあがった本で、読みたいと思っていた本です。紀伊国屋で文庫本を見つけたので買いました。

これは是非日本人の人には読んだほしいなあ、と思いました。

 ユーゴ紛争については日本だと事の顛末を詳しく知っている人というのは少なくて、なんとなくバルカン半島のあたりで紛争が行ったということを知っている程度なのかもしれません(知られているだけましですが)。しかし、欧米ではこの紛争は多くの人々が知っていて、関心を持っている紛争なのです。

世界各地で多くの紛争が起こっているのに、何故この紛争だけがそんなに注目されたのか?この地域がヨーロッパであったということもありますが、ボスニア等紛争当事者の、そして彼らが雇ったアメリカPR会社のPR戦術が成功したからである、ということを本書では指摘しています。

本書ではユーゴ紛争のうち最も凄惨な戦いが行われたボスニアでの戦いに焦点を当てています。ボスニアはムスリム人が一番の多数派ですが過半数には達せず、セルビア人、クロアチア人も多数いるモザイク国家でした。このうちムスリム人を中心にユーゴ連邦からの独立を計画します。しかし、国内で少数派になってしまうセルビア人はこれに不満ですし、隣国の強国セルビアは彼らを支援することは明白であり、戦争は必至の状況でした。

そこでボスニア政府はこの戦いに勝利をするために国際的な支持、特に米国の支持をボスニア側に持ってくるために、あらゆる活動を行うことを決定します。そのなかで大きな役割を果たすことになるのがボスニアの外務大臣ジライジッチがアメリカ訪問中にであった、米国のPR会社の国際紛争部門におけるエキスパートであるジム・ハーフでした。

PRとはpublic relationの略のことです。日本では広告とかCM等のことと思われてる節があるかもしれませんが、PRとはそのような広告代理店のような仕事だけなく、ありとあらゆる手段を用いて顧客の望む世論を作り上げることを行います(従って、本書のタイトルは正確ではありません、筆者が日本の読者の関心を引くためにあえて使っている表現です。確かに戦争PR会社よりは手にとってもらえそうです)。その活動にはメディアだけでなく、政界・官界に直接働きかける、または、圧力団体に働きかける、ということがあります。

 ジム・ハーフ、そして彼に振り付けされメディアで世論に訴える外相ジライジッチはボスニア紛争の悲惨な実態の裏で、情報・PR戦という戦いを行っていきます。特筆すべきはその具体的な方法です。とても良く取材が行われているためだと思います。その手法は見事だといわざるを得ません。兎に角ありとあらゆる手段を用いているので逐一紹介しきれませんが、ボスニアというヨーロッパの裏庭で起こっている出来事が欧米(特に米国。日本はどうでもいいので無視です)でわずかな期間に注目されていきます。

メディアで、そして世論に強く訴えるには分かりやすさ、インパクトが必要です。本来より複雑なはずのボスニア紛争に、セルビア=悪者、ムスリム人=被害者、という構図を仕立てていきます。日本でも聴いたことのある人は結構多いと思いますが(気のせいか?)、「民族浄化」、「強制収用所」、「多民族国家」、それまでも使われることはありましたが、こうした言葉を意図的にメディアで定着させたのはジム・ハーフ達です。

一方的に悪者にされることに対してセルビア側も黙っていません。首相にセルビア系アメリカ人を立てて、対抗しようとします。しかし、国際世論が自分達に極めて悪いように働いている、と感じて対策を立てたときにはもう遅かったのでしょう、PR会社には相手にしてもらえず、結局自分達PR活動を行います。しかし、PR会社・プロとアマチュアとの差は明らか、国際世論を巡る戦いに完敗をしてしまい、最後には国連の議席すら奪われてしまいます。また、自分達に不利なことを発言する人間をときに政治的に抹殺するということまでも行っています。

 

この本を読んだ最初の感想は、現代における情報・PR戦争という実弾を伴わない「虚構」の戦争の重要さ、凄まじさです。現在ボスニアは多少の混乱、そして不安定を抱えていますが、国連から多くの支援物資を受け、かつて銃弾の飛び交っていたサラエボの青空市場には多くの物資が流れ活気を賑わせています。一方、一方的な悪者にされたセルビアの首都ベオグラードは空爆で受けた損害も十分に回復できず、国際社会からの援助も十分ではありません。僕もこの紛争を研究したことがあるので分かりますが、実態を見るならばこの紛争は言われているような一方的な紛争ではありません。しかし、セルビアはPRという虚構の戦争で完全敗北を喫した、そしてこのことが現状につながっているのです。

筆者を述べていることですが、だからといってPR会社の存在を批判することは無益であると思います。彼らは現実に存在するわけですし、実際に虚構の戦いは存在するのです。如何なる評価をすることなく、その事実を認めなければなりません。

この本はこうしたPR戦争の実態をそういうものの存在を良く知らない日本人のためにかかれています。そしてこれを読んで日本の現状を見るに、あらゆる部分でこのPR能力の欠如、というのを感じずに入られません。

「マスコミが自分の主張を正しく報道しない」などということが政治家から良く主張されますが、そんな報道をさせる自分達側に責任を感じるべきでしょうし、むしろ自分達が望む世論の形成のために努力をするべきなのだと思います。なぜならマスコミをそのように批判しても、彼らはそういうものなのですから(僕もマスコミのレベルが日本は低すぎるんじゃないかなー、という気もしますが、それはともかく彼らの存在は否定は出来ませんから)。 

 「真実は必ずそのうち理解されるはずだ」ということを考えている人も多いと思います。例えば、日本のODAとか、また、靖国参拝問題とかがその例だと思います。そういう方に最もこの本を読んでほしいと思います。この本見た後だとその考えは甘すぎるを言わざるを得ません。そのような可憐な乙女の祈りみたいなおためごかしが通用することは殆どないのです。作中、ボスニアのことわざが紹介れていましたが、「泣かない赤ん坊はミルクをもらえない」のです。論外です。だからいつまでたっても、国際的には日本の行動は広く理解されないのです。日本人は自分から何かをアピールすることをあまりしませんが、じっくり話せば分かってもらえるを信じている人が多いように思いますが、セルビアの大統領ミロシェビッチもPRを好む人間ではありませんでした。かれも、「真実は必ずそのうち理解されるはずだ」と思っていたのです。しかし、結果は彼の思ったようにはなりませんでした。

今はまだ日本は世界第二位の経済大国ですので、いいのかもしれません。しかし、これから人口減少を控え、世界における経済的比重を低めていくこれからの日本にとって、この問題は重要な課題であると思うのです。

と、気付いたら本の紹介のあとで日本ネタがかなり入ってます。僕って意外と憂国の士なのかなぁ。


「現在官僚系もふ」 [書籍:『』「」付記]

漫画です。漫画を立ち読み以外で読んでみようと思ったのは久しぶりです。

現在官僚系もふ 1 (1)

現在官僚系もふ 1 (1)

  • 作者: 鍋田 吉郎
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2005/06/30
  • メディア: コミック

官僚が主人公という世にも珍しい(?)漫画です。

舞台は財務省(Ministry of Finance:mof)。三流大学から何故か財務省に入省しまった平山茂夫(通称、もふ。茂夫だから)を主人公として、財務省がどんなところで、どんなことを考えているかを描写する漫画です。所謂普通の人代表として、もふが色々な財務省の実態に直面し、財務省の中に存在する世間と異なる論理が映し出されていきます。少し違いますが「踊る大捜査線」に書かれている、現場と本庁の人の間の葛藤なんかと似ている気がします。

ギャグありの軽いノリで書かれてますが、取材とかしていて、官僚の実態がそれなりにリアルに書かれていると思います(漫画なため、キャラは濃いですが)。組織の中で生きるって、中々難しいものだな、とちょっと考えさせられたり、考えなかったり。正しいと思っていても出来ないことが沢山ある。

その中で官僚も人のことを考えたり、自分のことを考えたりして生きている、単純に否定するのは簡単だけど、そんなに簡単なことではないのでしょう。一般論としてではなく、実際に働いている人間一人一人に着目した漫画なんではないかと思いました。

以下、なんとなく印象深い台詞の一端を紹介

「正論も本音もここでは無力なの。いえ、そんなものを見せたらすぐに潰される」「あなたも人のためとか言ってる前に、まずは自分のためを考えなさい」

「私は信じてるんだ――この仕事はきっと自分にしかできないことがあるって。」

以上、もふの先輩の緑さんの台詞より。

(「根はいい人たちなんだよね」という、もふの台詞を受けて、)「そこが最悪なんだよ!そのいい人達が整備新幹線でもめた時何をした?おかしいのを承知でライン(命令系統)に逆らわずに予算を認めたんだぞ!タマネギみたいだ…むいてもむいても、こいつが悪い、こいつが倒せばっていう敵が見つからない!財務省はすっげーよ。想像以上の腐り方だ!!」

↑同期のヤマケン吼える。

「忙しすぎて家庭内別居の末に離婚なんて財務省(わが社)では珍しくもなんともないのよ。ってゆーか、仕事を取るか家庭を取るかを迫られたら、躊躇なく仕事を選ぶべきなの。」「」我々は人間である前に官僚なのよ。」

↑蒲生筆頭補佐、シリアスモードで。

 

今のところ、もふはそうした霞ヶ関の現実の右往左往するだけの状態です。これから彼がどんな風に成長していくのか、これからの展開に期待です。

と、こんな風に書くとなんか硬そうな感じが持たれるかも知れませんが、ギャグも程よく入っていて、そういう意味でも面白い漫画と思いますよ。

 

ちなみに、ぼくのBlog上でのニックネームと主人公のあだ名は全く関係がありません。


『ポピュリズムに蝕まれるフランス』 [書籍:『』「」付記]

ポピュリズムに蝕まれるフランス

ポピュリズムに蝕まれるフランス

  • 作者: 国末 憲人
  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2005/10
  • メディア: 単行本

前回のイギリスに続いてフランスです。

一般に、民主主義の国にとして知られるフランスですが、本書では現在フランスは「民衆なき民主主義」と表現されるような、民衆とエリートの分裂が生じており、民衆が民主主義に触れることができることが困難であると感じるようになっている、という現象が起こっているのではないか、ということが指摘されています。そして、現在においてフランスがポピュリズムに陥っている、ということについて警鐘を鳴らしています。

因みに、「ポピュリズム」という用語は日本でも最近聞く言葉ですが、大嶽秀夫は、

ポピュリズムとは「普通の人々」と「エリート」、「善玉」と「悪玉」、「味方」と「敵」の二元論を前提として、リーダーが「普通の人々」の一員であることを強調すると同時に、「普通の人々」の側に立って彼らをリードし「敵」に向かって戦いを挑む「ヒーロー」の役割を演じてみせる、「劇場型」政治スタイルである。

と、定義しています。

フランスは日本以上に学歴社会であり、政治家・官僚の多くがENAなどを卒業したエリートで占められています。そして、世襲の政治家も多く、そのことが政治と民衆の距離が開いてしまっている、ということが述べられています。ポピュリストはこうした状況を理解し、自らを民衆の側であると定義し、有権者の支持を集めていきます。

その顕著な例が、本書の中心ともなっている、三年前の大統領選挙です。記憶している人もいるかもしれませんが、この大統領選挙の本命は現職シラク大統領、そして中道左派で首相のジョスパンでした。しかし、大方の予想に反し、ジョスパンではなく右翼のルペンが決選投票に選ばれてしまいます。

ルペンは典型的なポピュリストであり、自らを大衆の側の人間と呼び、移民問題で排外的な主張を行い、国民の不安を煽るなどして、支持を集めていくことになります。一方、ジョスパンは政策は成果をあげていたのにもかかわらず、典型的なエリートで、支持を増やせないまま、敗退してしまいます。

結局シラクが大統領に再選しますが、その過程においてマスコミはルペンに対して過剰なまでのネガティブキャンペーンを張り、市民からも強いネガティブキャンペーンが行われました。

ルペン自体は大統領選で敗北しましたが、彼はこの選挙の中で民衆に注目され、大きく支持を増やしています。また、問題を二元論的に単純化し、民衆に訴えるポピュリズム的傾向は政治家に広がっています。サルコジ内相などもその例にあたると言われています。

その背景としては、エリートの支配、欧州統合で不安になっている国民心理があります、ポピュリストはフランス国民の不安をあおり、自らの支持を獲得するのです。

そして、国民、そしてマスコミもポピュリズム的傾向に陥っていると筆者は考えています。ものごとを安易で極端な意見に偏りがちになっています。先の選挙においても過剰にルペンがバッシングされましたし、そのほかにも教育現場においてイスラム学生がスカーフを巻くことが突如として政治問題となり、立法化されることになるなど・・・そうした事象はその例です。現在のフランスでは政策の善し悪しよりも、個人のもつイメージが重要になってしまっている、ことが指摘されています。

フランスは何処に行くのか、ポピュリズムを克服することは可能なのか?

これはフランスだけの問題ではありません、欧州全体に席捲しています。9月11日の選挙などに見られるように、日本もポピュリズムに陥っているのではないかと指摘されています。

 

・・・という感じの本です。少しイギリスとかぶる気がしないでもないですね。現代は不安の時代という感じがします。冷戦が終わって、ソ連という明確な敵もいなくなり、国民の統合も難しくなると同時に、グローバル化は人々の向上心を促進すると同時に、人々に安心・安定をもたらす事はありません。主要政党間の政策のぶれも少なくなってきていて、人々が選択する幅も狭まっています。すると、何を言っているのかというよりも、なんとなくはっきりしたことを言う人が求められているのでしょう。

筆者の意図とはなれて、この本から感じたのは、民主主義の生まれたフランスのような国でも日本みたいな、低レベルというか、民主主義をゆがめる事態が生じているのだな、と思いました。自分と同じようにだめな人を見つけると安心する、そんな気持ちに似ています。なんだか、フランスなどの欧州の国が少し身近になった気がします(・・・間違った感じ方ですが・・・)。

 

むかし、何処で聞いた気がするのですが、「民主主義を堕落させてしまうのは、民主主義の再生を望む真摯な願いそのものである」、ということばあった気がします。

本書で指摘されているように、ポピュリストも機会主義的ではありますが、民主主義を信じてますし、民衆も民主主義の復活を信じているのです。しかし、その願いがポピュリストという問題を逆に引き起こしてしまっている。かつてのヒトラーも民主主義の制度から生み出されました。欧州、そして日本などの先進国のポピュリストからヒトラーが生まれると考えるわけではありませんが、しかし、民主主義の形骸化、衆愚政治に陥っていないか、そのことは考え直されるべきことなのだと思います。

ということで、終わり。


『ブレア時代のイギリス』 [書籍:『』「」付記]

ブレア時代のイギリス

ブレア時代のイギリス

  • 作者: 山口 二郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2005/11
  • メディア: 新書

タイトル通り、ブレア時代のイギリスの本です。選挙も終わり、労働党史上初の三期政権維持を果たしたところで、ブレア時代を一通り総括してみる、といった感じで出された本でしょうか。その他日本政治へのインプリケーションもあるみたいです。

今でこそ、イラク戦争のせいでブレアの評判も最悪ですが、彼がイギリス政治、新自由主義に対して果たした役割は大変大きいものであろうと思われます。

本書はそんな彼の掲げた政策、特に福祉、外交について、および彼の個性、民主主義に対するインパクト、新自由主義の課題を論じています。

ブレア以前は保守党がサッチャリズム、新自由主義を標榜し、強固な勢力を誇っていました。これに対して労働党は新自由主義を批判し、時代遅れで、非効率な経済・財政政策を主張し続け、一般国民の支持を失っていきます。

90年代ごろになると、労働党にも自己反省の機運が強まり、労働組合の影響を弱めるなど、内なる敵と戦い、国民の評価を取り戻していきました。ブレアもその流れを推進する一人として、労働党のなかで活躍し、党首の死などが相俟って、43歳にして党首となります。ブレアは彼自身の卓越した弁舌の能力などを駆使しつつ、それまで党の理念であった、国有化路線を捨て去り、労働党自体を新自由主義の方向へ大きく旋回させ、労働者以外の一般国民への支持を獲得し、1997年の選挙では地すべり的圧勝を果たします。

 当時のイギリスは新自由主義の名の下、国の事業は次々と削減または廃止されていき、教育、医療諸々のサービスが劣化し、治安も悪化し、社会が荒廃していたとのことです。

サッチャーが「社会などというものは存在しない、あるのは国家と市場だけだ」といったのとは異なり、ブレアはこの社会に着目します。ブレアの最大の焦点は教育にあります。彼は教育の強化を訴え、社会に見捨てれた人はその大部分が教育を十分に受けていない(この人たちこそが街のスラム化、犯罪率の上昇に貢献している)、すべてのイギリス人が市場に参加できるために十分な教育を受ける必要があることを主張します。

また、子育てに対してもそれが苦にならないようにさまざまな対策を講じます。

こうした政策は「第三の道」と呼ばれるものであり、市場の機能を前提として認めながらも、市場は万能ではなく、社会的に排除されてしまうものがいる、そうした人たちを教育によって、市場へのアクセスを可能にし、また、個人に対して自助努力を求めつつも、努力する意思のある人間は見捨てることはせずに、支援を行う、即ち、結果の平等ではなく、機会の平等を保障する、新しい福祉の形として注目されました。

他方、ブレアの存在は民主主義にとっても大きな意味を持っています。それが政治の人格化です。政党間の差は縮小し、有権者はどちらの政党を支持すればよいのかが難しくなります、また、既成政党の既得権も相俟って、政党システムが決定に時間のかかる、まどろっこしいものとみなされます。そうすると、国民は国民に直接訴えかけてくる、指導者に注目し、その人が信用できるのjかどうか、ということで投票行動を決定するようになります。ブレアの存在、彼の個性はまさに政治の人格化をイギリスにもたらしました。そして議院内閣制・小選挙区制で保障された首相の力ははブレアの権力とリーダシップをさらに強力なものにしました。

これらの点は政治を危ういものにすると筆者は判断していますが、同時にブレアが行った地方分権化の推進、NPO・NGOの政治参加の促進などは民主主義を活性化させるものとして、評価を行っています

内政において良い成果が出ていると思われるブレア政権も外交においてはイラク戦争によって大きな失敗を犯してしまいます。イギリスは①対米関係・対欧関係のバランス②国際協調と一国主義という機軸で行われます。

労働党は左派政党の特徴として外交に人権・民主主義を持ち出します。ブレアは人権、民主主義のためには武力行使をいとわないという姿勢を打ち出します。そして、それまでの保守党政権とことなり、EUについても熱心に取り組み、一般に思われているほど、対米一辺倒の政治家ではありません。しかし、イラク戦争では情報操作をしてまで、アメリカの攻撃の賛成を姿勢を示すことになります。しかし、結果情報操作がばれてブレアの威信は大きく落ち込んでしまいます。

筆者はブレアの真意は完全に読めないが、アメリカに反対してもアメリカはその国意見を聞かない、アメリカの行動を是正にするにはアメリカの意見に賛成し、懐に入るしかないという解釈、大英帝国の末裔として過去に支配した事のある地への影響力を行使したいという解釈、アメリカのとの軍事協力が相当程度進んでしまっている現在、アメリカの要望を断れない状況にあるという解釈が存在していることを指摘しています。

新自由主義に対抗して「第三の道」を評したブレアだが、彼の政策、および彼の評価は現在のところ実にさまざまである。肯定、否定様々あります。これはブレアが実に多くの、ともすれば矛盾した側面を持っていることによるものだと指摘されます。

第三の道は新自由主義への新しい対抗軸、理念となりえたのか、社会民主主義の皮を被りながら、実質は新自由主義の継承を果たしただけに過ぎないのではないか、と指摘されることがあります。

そうした彼の政策は左右両方から批判されることになります。

筆者はブレアの政策を、経済のグローバル化の中、結果の平等を達成するのは不可能であり、それを前提としつつ働く市民のための新しい福祉政策を打ち出したことを評価します。しかしながら、ブレア、ニューレーバーは教育を行っても、市場の競争では当然敗者が出てくるのであり、ニューレーバーはそのことから目を背けていることを指摘します。そこでの教育は点数至上主義的であり、過度にストレスのかかるものとなってしまっている。問題は市場に適応することだけが正しいモデルとして与えられているということに存在するパターナリズムにある。そしてついには教育が経済発展のための手段となるのではないか、そうすれば社会民主主義を標榜する労働党が本来有していた個人の尊厳と自立性の尊重という理念が損なわれ本末転倒になるのではないかということについて警鐘を鳴らします。

このままでは新自由主義と社会民主主義の中で労働党は自己のアイデンティティを保つことができないかもしれない。社会民主主義の理念に照らせば、労働党はより個人の多様な生き方を許容する、そしてサッチャーが切り捨てた社会に対してより配慮した政策を考えていくことが、必要なのではないだろうか。

 

特に最後ののほうだいぶ簡略化してしまいましたが、要約するとこんな感じです。最後がイギリスへの提言っぽくなっていて、おいおい、こんな極東の島国で何提言っぽいこと書いてんだよ、と思うかもしれませんが、おそらくそうではないでしょう。

自由市場の存在がグローバル化の中不可避のものになっている中、社会民主主義の可能性とは何か、ということをイギリスでの第三の道を考察することによって考えているのではないでしょうか。

また、あとがきでも確認できますが、同時に日本に対するインプリケーションを含んでいると思います。日本とイギリスはかなり比較可能な点が存在するのではないでしょうか。

政治の人格化と小泉首相についても考えるべき点が多いと思います。

また、野党と第三の道の可能性についても大きなものがあるのではないかと思います。日本の野党は今もその理念を求めています。しかし、小泉首相の自民党が新自由主義的主張を行うようになった今、これまでの利益配分的ばら撒き政治でもない、新自由主義でもない、第三の道が対抗軸として必要な現在、ブレアの第三の道はよきモデルとなるのではないかとおもいます。

日本の野党は民主党で前原さんは43歳でブレアが首相になった年と同じ年でしたっけ。主義主張はともかく、第二軸として政権交代可能な政党が必要なのは多くの人がそのように思っているのではないかと思います。ただ、数ヶ月見て感じたのですが、国民に訴える姿勢が無いですね。民主党議員に多いですが、理論を根気よく訴えれば勝てると思ってるのでしょうか。アメリカ、フランス、ドイツそしてイギリス、歴史の大部分はそうではないことを証明しているはずであるにもかかわらず、地味でまじめな人ということ意外、まだ何も感じません。まともな参謀がいないのでしょうかねぇ。

 

それはともかく、日本の政治は、先進国の数年、十数年後れているということで、僕も大体そんな感じだと思いますが、イギリスの例は参考になるのではないかと思います。イギリスに興味のある人以外にも、日本のこれからを考える人にも読んで損はない一冊です。


『吉田茂の自問 敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」』 [書籍:『』「」付記]

吉田茂の自問―敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」

吉田茂の自問―敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」

  • 作者: 小倉 和夫
  • 出版社/メーカー: 藤原書店
  • 発売日: 2003/09
  • メディア: 単行本

久しぶりに書評を書きます。

この本は外務省文書「日本外交の過誤」を題材に、戦前の日本が満州事変から、太平洋戦争、そして終戦へといたってしまったのは何故か、日本外交はなぜ失敗したのか、それを振り返りながら現在の日本の外交は同じ過ちを繰り返していないのか、という現在への問い、それぞれを検証していこうとするものです。

「日本外交の過誤」とは、敗戦後、首相となった吉田茂が現実政治を立ち向かう中、ある外務省職員に命じて、記憶あるうちに戦前の日本外交はなぜ間違えたのかということを分析し、後世のためとするために、文書にするよう命じたものです。

文書は冷静に当時の事情を分析し、自己反省を促すものです。筆者はこの文書を現代的視点で再分析を試み、さらに現在にこのときの反省が生かされているかということを検証していきます。

満州事変、国際連盟脱退、軍縮会議脱退、日独防共協定締結、日中戦争、日独伊三国同盟、日ソ中立条約、南方進出、日米交渉、終戦外交と今から見れば目を覆わんばかりの失敗を繰り返しましたが、報告書は今から見るというような短絡的なアプローチはせずに、当時の情勢として何をすべきであったかを論じます。

そして「日本外交の過誤」は戦前外交の失敗を以下のようにまとめます。

まず、全体を通じて情勢判断の誤りを指摘しています。感情におぼれてはならないことを強く戒めます。日米交渉にいたるまでの行為を見て何故日本は米国が譲歩してくれると思ったのか、米国人の本章を理解せずに、また、当時の窮状から希望的観測を立てたに過ぎないのではないか。どうして終戦直前ソ連に調停を依頼して無条件降伏を避けようとしたのか、独ソ戦後のソ連が最早中立でないことは明らかであるはずなのにソ連の仲介に望みを託したために満州に進入され、北方領土を奪われ、挙句の果てに原爆まで落とされてしまったのではないか。等等、情勢分析にそもそもの誤りがあること指摘します。そして、その一因に、民主主義対全体主義、アングロサクソンへの不振、日本への差別感、ドイツへの期待・・・等の、感情的・情緒的な議論が当時の政策決定者の判断に進入していたことを指摘しています。

また、日本外交に根本、理念、今風に言えばヴィジョン、グランドデザインが無かったことも問題と指摘しています。対中政策において既に時代遅れとなりつつあった、明治のころから有していた脱亜入欧のもと、いつまでたってもアジアの諸国を植民地の対象とみなしてきたことが、問題である。人種差別撤廃、大東亜共栄圏などのスローガンを掲げたこともあるが、現実が伴っていない、進出のための口実に過ぎなかった。それゆえ、対中政策において協調・交渉などといっても本気でそのとおり実行しようとするものではなかったし、修辞的な文章を作ったところで、根本が誤っているのだからどうしようもなかったのだと指摘する。

そして一度行動する必要が出てくれば、その行動は敏でなければならない、そのために決断力・実行力が必要であることを指摘する。外務省、そしてもっと言えば、政府、軍部もこれが無いうゆえに情勢に流されるだけになって、最後には戦争に行き着いてしまったのだという。

 

この「日本外交の過誤」の本文の指摘も大変興味深いものですし、こういった視点から外交を捉えることは必要だと感じました。また、作成当時の外務省職員の後世への誠実なメッセージを感じるとき、いささか感動を覚えます。

加えて、筆者がこの文書を題材に現代的なアプローチによって再分析を行っているのは興味深いです。

特に考えさせられるのは、先日決まった自衛隊のイラク派兵再延長です。筆者はイラク問題に触れて、この「日本外交の過誤」の反省が生かされているのかということを問うていました。

シビリアンコントロールの問題に触れ、海外派兵のときに、現地にいる舞台に対してはコントロールが及びにくいので、あまり考えられてきていませんが考えるべきでしょう。特に、これから憲法を改正し海外派兵を増やすのであれば。米軍がイラク・アフガン、アブグレイブ・グアンタナモで行っていることを想起すればこれが日本の自衛隊でも行われないともいえないでしょう。

私自身イラク派兵に必ずしも反対するわけではないありませんが、それでは今の政府に十分な情勢分析、そして、根本があるのかははっきり言って不明であると思います。日米同盟の存在ゆえにイラクについていっているだけではないのか?と考えます。現在世界最大の軍事国家のアメリカを支えるのは当然であるといった類の議論は、一見現実的に見えるけれども、条約の存在前提にした単なる形式主義ではないのか、ということを問い直す必要があるでしょう。日本はここで何をしたいのか、米国とともに世界の安全保障を支えるのか、それが正しいかは別として、それもひとつの選択であると思います。しかし先の問いは問われるべきだし、そもそも国際社会でアピールできているのか、そしてこうした方針の大転換には国民の支持は不可欠のはずなのに、国内において政府の説明はきわめて不透明、いつの間にか議論の無いまま、事実状態が継続されていってるのではないでしょうか。

また、日本外交全体においてもはたして根本理念を有しているかを考えるべきであるとも主張されます。日本は戦後、民主主義という理念を手に入れ、いろいろいう向きもありますが、それは日本人のものになったと思います。そして先進国になりました。ではそのごどうすするのでしょう。先進国としての責任という言葉に縛られ、それにふさわしい行動をとることにあくせくしているだけではないのか。日本外交には対米協調以外にも、アジア重視ということなどもありますが、お題目以上に何をしてきたのか、自決権、植民地時代の後遺症の回復、貧困等、こうした問題を本当に気概を持ってとりくんでいこうとする、意思が本当にあるのか、本書は現代において日本の「過誤」はそのようなところから生じるかもしれないという教訓を残しています。


前の10件 | 次の10件 書籍:『』「」付記 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。