官僚の権限闘争 [国内問題]
前回blogで紹介した「現在官僚系もふ」、読んで面白かったので2巻も買ってみました。以下少しネタばれ、そして考察。
今回は国会対応篇。ということで、もふ(主人公)は国家議員に質問を取りに行きます。そこはそこで問題なんですが、後半は議員質問から端を発して、財務省と経産省が戦争しだします。
ここでは国民を見ているのではなく、自らの省益を考えて行動する官僚の姿が描かれています。
漫画なので脚色は入っていると思いますが、かなり真実を描き出しているようにも感じました。
東京に出てきて8ヶ月、官僚希望者が多い某政策大学院にいる僕ですが、すでに学生の時点で各省庁に視点でしかものを考えていない人がかなりいるのではないか、という気がしてなりません(しか、は言いすぎかな。しかし、意識化、無意識か、とうのは別として、こういう発想の仕方が多いのは確かな気がします)。
例えば、授業中に先生に対して行われる質問に多く見られるのが、「政府」がではなくて、「○○省としてはどうすべきなのか?」、とか、「○○省と××省の間の権限関係はどうなっているのか?」「結局その点についてどちらの省庁のほうが権限が強いのか?」、とか、官僚になる前から一つの官庁(自分が行きたい官庁)の視点でものを考えている人間が多いような気がします(僕の偏見だったらごめんなさい)。自分の行きたいところ、自分がいるところに愛着がわくのでしょう。そして、省庁の権限の大きさを考えて、何処に行きたいかを考えている、という面があるように思います。
僕自身、実際に省庁の方に話を聞いたことがありますが、よく「本当に・・・を行っているのはうちだよ」とか「あの省はねぇ、・・・を考えてないよ」など、ということを本当に言っています。
この問題の闇の深さというのは、こういう人たちの多くはそれぞれの視点は別ですが、半ば以上、正しいことを行いたいという信念みたいなものをもっているという点にあるように思います。本人達は決してパワーゲームを楽しみたいわけではないのだと思います(そうした人たちもいるは思いますが、それほど多くは無いと思います)。
この点は、作中でも描かれています。財務官僚は自分達が監督しなければ、秩序が乱れてしまうし、赤字も際限無く増えると考えてますし、経済産業省はバブルを起こしたのは財務省であり、今の企業を育てたのは自分達だ、財務省が何もわからないのに調整者ぶっているのが、霞ヶ関を動脈硬化に陥れている、ということを考えています。
安易に批判するのは簡単ですが、果たしてどちらが悪いのか、それともどちらも悪いのか、ということを決めるのは簡単ではありません。おそらく考え方としてはどちらかが絶対に悪いということは無いのだと思います。だからこそ難しいのだと思います。
そうすると、どのような方法でこの問題を調整するかというプロセスが大事になると思いますが、更に難しいのは、ではどうすればよいのか、ということだと思います。
これまた、実際に官僚の方にお話を聞くと省庁間で争いになることは話し合って「調整」する、ということを言われますが、では「調整」とはどうすることか、ということが問題となります。つまり結局どちらかが主導権を持つことになりますが、各省庁それは自分達の側であると思っている節があります。官僚は多くの人が一生懸命仕事していると思います。おそらくこれは事実だと思います。だからこそ、各省庁がそれぞれ自分達が行うのが良いと考えるのではないか、と思われます。
おそらく、官僚の多くはこのジレンマを逃れきれないのだと思います。何処の国でも起こるのでしょう。官僚は自分達のやってることが霞ヶ関の中で行われる、虚しい権力闘争だと半ば理解しているでしょう。それでもやめることは出来のだと思います。いくら頭が良かろうとも、権力闘争はなくならないのであり、権力闘争の為のエネルギーは物凄いものなのだと思います。
おそらく政治の側のイニシアチブが求めらることになると思われます。平時のときはともかくとしても、現在の日本のような財政緊急事態一歩手前(もしかしたらもう緊急事態)の状態では、全ての機関が最終的に一致して行動することが大事なのです。高度成長の時代、石油ショックの時代などの時、日本はある程度一致して行動を取れたのではないかと思います。必要は発明の母ということなのだと思います。だとすれば現在何故団結して行動をとることができないのか?恐らく危機感が足りのだと思います。ひょっとしたら、本当に危機ではないのかもしれません。現在もどういう形であるかはともかくとしても最終的に一致して行動できるような動きが必要なのだと思います。
漫画よんでそんなこと考えちゃいました。
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